臭い

 この僕を見たらそんなに気を使うところでないのはよく分かっているだろうが、おそらくそれは昔からの習性なのだろう。その人なりの身だしなみなのだろう。  病院で抗生物質を出されたせいで、おなかの調子が悪くておならばっかり出て困ると言う相談に来たのは1ヶ月前だ。原因が分かっているし、同じ牛窓の人だから5日分だけ漢方薬を作って飲んでもらうことにした。それ以来丁度1ヶ月ぶりの今日、同じ漢方薬をまた作ってといってやってきた。聞けば1ヶ月前5日分漢方薬を飲んだら症状が3割ほどに減ったそうだ。だからもう少し作ってもらおうと思ってヤマト薬局に行こう、行こうと思っていたらしいが、義母が亡くなった事と、日が長いので出来るだけ畑に出て仕事をしたいのと、仕事をしたまま着替えずに薬局に行くのは失礼だから来るチャンスがなかったと謝った。お葬式とその後の片付け、日が長いから仕事を頑張る、この2つは理解できる。ただ最後の理由の着替えをせずには来れないというのは理解できない。  僕の薬局は、僕を含めて皆が気持ちよく仕事が出来る事を優先している。その結果、来ていただいた方を健康に楽しく出来たら最高だ。そのためには来て頂く方も楽でなければならない。敷居が高かったりしたら、情報をいただけなくなるから効く可能性が低くなる。そのためにこちらもあちらも同じ条件がいい。何も気取らず、ありのままがいい。だから百姓は百姓の汗の臭いがし、漁師は魚の臭いがするのがよい。その汗で僕達はお米を欠かさず食べられるし、その臭いで健康を保つ魚を食べることが出来るのだから。田舎の薬局だから夜の街に似つかわしい人工的な香や、成金の金の臭いはいただけないが、僕らの命を養ってくれる人のにおいは歓迎だ。  日焼けして皺だらけのオバちゃんの気配りはいわばこの町の財産。この国の財産。失ってはいけないものを市井のごくごく普通のおばちゃんが守り、政治屋や疫人が破壊する。奴らの発する臭いを「胡散臭い」と言う。