いくら田舎の薬局でもめったにない面白い光景だった。  先客は、80歳代のおばあさん。足が悪いから、店内中央のテーブルに陣取る。そこは普通、簡単な用事の人が少しだけ腰掛けるところだが、おばあさんは、漢方薬が出来る時間ずっとそこで待っている。薬局の隅のほうの席に普通は移るが、たまに足腰の悪い人はそこに留まる。と言うことは、入ってくる人全員が見えるし、逆に全員に見られる。ただこのおばあさんは、そんなことを気にするような人ではない。  調剤室で漢方薬を作っていたら、やたらおばあさんが誰かに話しかけている。耳が遠いから声は自然に大きくなり、距離感はないが恐らく狭い薬局の中だから、すぐ傍にいる人に話しかけているに違いない。「いい靴じゃなあ!」「いい靴じゃなあ!」何度も同じ言葉を繰り返している。そのうちやっと、いい靴の持ち主?履き主の声が聞こえた。その声はしばしばやってくる漁師の声だ。無口な男性だが、散発的には声を発する。 「よかろう」と珍しい答えを返しているのが聞こえたから、そんなにいい靴を履いてきたのか見たくなって薬局に出てみると、案の定おばあさんが腰掛けているところと1メートルしか離れいないところに漁師が立っていた。そしてそのいい靴をこれ見よがしにおばあさんに見せていた。僕は漁師がいい靴を履いているのだから「いい長靴」だと勝手に決めていた。だから漁師の足元を見た時に、「こんなものか」と思ったが、こんなものがおばあさんには素敵に見えたのだ。  さて、その靴とは・・・・。その種類の名前がわからない。今インターネットで調べてみても辿り着かない。だから想像力を働かせて読んでいただきたい。絵で書けば一発で分かるのだが、それをインターネットに載せる術を知らない。  おばあさんは靴と言っていたが僕にはサンダルのように見えた。真っ白だった。その色に感動したのだろうか。そしてそのサンダルとは最近よく見かけるもので、つま先のほうがやたらワイドだ。甲のところに本来踵を固定する幅広の紐が収納されていて、それを踵にかければ走ったりすることも出来るかもしれない。おばあさんは、その靴の何処を評価したのかしらないが、漁師は気分が良くなったのか珍しく口数を増やした。そしてそのサンダルもどきを褒め始めた。調剤室に戻って漢方薬を作り始めたのだが、軽い 強い、蒸れない辺りが彼の推しみたいだった。  ひとしきり商品説明を終えると漁師は帰っていったみたいで、残されたおばあさんはその後も何度も靴?を褒めていた。よほどセンセーショナルだったのだろう。  この光景を見て、もう少し僕が若くて経済力があったら、薬局をもう一度だけ作り直してみたいと思った。以前から折に触れ思い浮かぶ薬局の姿があって、ガラス越しに石庭(京都のお寺で見た庭が印象的だった)を眺めながら今と同じ内容の仕事をしたいと思ったのだ。道路から少しだけ石畳を入ると、平屋の木造の薬局がある。広いガラス越しに石庭を眺めながら、OTCの販売、漢方相談、病院の薬の調剤をやりたい。それも常連の方を相手に。今までどおりの仕事を気取らずに、ゆっくりとしたい。訪ねてくる人もお茶を飲みながら外の景色に癒される。ゆっくりとしたそれでいて上質の時間を提供したい。  だが僕はこれらをかなえるものを何も持っていない。はかない夢でしかない。僕なりに頑張ってきた同じ道ではもうこれからは頑張れないような気がする。