日曜日の朝6時から教育ラジオで講演会の録音が流れる。今週は南海沖地震についての講演だった。6時を少し回ったところから聞き始めたので、講演者が誰か聞き逃したが、話の導入部分が面白かった。恐らく地震学者だと思うが、その後は緊張感を保って、1時間近く話し続けた。  この世には3つの坂があるそうだ。その中の2つは見える坂で、1つは見えない坂だと言う。一つ目の坂は上り坂。努力しているときはしんどいが、常に高きに上る喜びは大きい。若者の特権だ。2つ目は下り坂。僕らの世代の宿命かもしれない。惰性に任せておけば自然と下れるから、しんどくはない。その代わり夢も希望もない。ただ下り坂は意外と危険だから目を凝らしていなければならない。そして3つめが「まさか」らしい。このまさかだけは目に見えないから備えることが出来ないと言うのだ。そしてこの「まさか」を聞く機会が本当に増えた。  このまさかの最たるものが、東北地震津波だっただろう。あの津波の高さはまさかの極みだ。ただ、福島の原子力発電所放射能ダダ漏れはまさかではない。多くの人が懸念していた。これはけっしてまさかではなく予想通りなのだ。熊本の地震もまさかだ。地震が少ないと言うことで多くの製造業が進出していた。ポンポン痛いおじいさんが返り咲いたのはまさかだ。ただアホノミクスが憲法を変えたいのはまさかではない。尊敬するおじいちゃんの名誉を回復するためならなんでもする。超ボンボンに政治をやらせたりするから、国民はどんなまさかを次に味合わされるのだろう。ゲリラ豪雨に見舞われた人たちが必ず言う「まさかここら辺りで」凶悪犯罪が起これば必ず言う「まさかこの辺りで」つい最近では「まさかバングラディッシュで」  講演では無自覚な国民に自覚を促していたが、このまさかに備えることが出来る人はそんなにはいない。天災にも人災にも人は楽観的だ。そうでないとやっておれないから、本来その楽天は身を守る反応かもしれない。まさかをまさか封印したりは出来ないが、まさかが溢れんばかりのヤマト薬局では、まさかを封印して欲しい。来る人来る人「まさかヤマト薬局で治るとは」「まさか漢方薬で治るとは」「まさかヤマト薬局でディーンフジオカに会えるとは」・・・もうまさかにはうんざりだ。