話しながら、この雰囲気はあまり経験したことがないなと気がついた。僕の周りに10人くらいが集まって、真剣な表情で僕の言葉を待っている。優秀な通訳のおかげで、ほぼ僕の話す内容が伝わっているんだとも実感できた。  最初からそんな話をしていたのではない。むしろ言葉が通じない分、楽しい雰囲気のうちに笑顔と笑い声が溢れる時間であって欲しいとだけ思っていた。ところがふと一人の女性が「ニホンジン ツメタイ」と僕に訴えたのをきっかけに真剣に話し始めた。するといつも挨拶だけで済ます子や、近寄ってこない女性も、まるで道端のアクセサリー売りを囲むように輪に加わった。  僕が講義する立場には無いので、一方的には話さなかった。通訳が介在することが適度な間を設けて、彼女達が珍しく本音の話をした。色々な不都合を感じながらも、それらの全てを受け入れて、明るく頑張っている事がよく伝わってきた。恐らくイメージできないくらいの「田舎」から出てきた彼女達が、物質優先のこの国の雰囲気に染まることなく、まだ純情を多く残している事が伝わってくる。  口々に「50年遅れている」と言うが、逆を言えば彼女達は自国の50年先を生きていることになる。新しい知識と経験とお金を持って帰ったら、自国で頑張っている人や、待っている恋人がつまらない人に見えてしまう可能性がある。それらの人になんら落ち度は無いのだから、決して馬鹿にしないでとお願いした。すると一人の女性が教えてくれた。「ニホンカラカエッタ オンナノヒト ミンナワカレル」と。  彼女達を見ているからか、僕が老いて先がなくなったからか分からないが、人生ってそんなに力んで生きなくてもいいのではないかと思うようになった。何十年か過ぎてしまえば全てがなくなってしまうのだから、実は「いい目」をすることなど些細なことのように思える。逆に苦しい目に会う人も「些細な出来事」と目の前の苦難を思えるようになれば、苦痛もかなり和らぐのではないかと思う。僕が力んで生きようが、ゆっくりと生きようが、この星にはなんらかかわりの無いことのように思い始めた。