教訓

 うかつだった。もう3年くらいずっと足の親指の爪が、先端部分が壊死したようになり、後から生えてくる健康な爪に押しやられるようになり、重なって生えていた。いわば二重に、かつての爪と現在の爪が共存しているようになっていた。爪の厚さが倍だから爪切りで切るのが大変だった。見た目はグロテスクだが、実害がなかったので気にはしなかったが、この1ヶ月くらい、爪の横の肉が痛んで化膿するようになった。こうなればさすがに不便だから抗生物質を呑んだり塗ったりで治療していた。抗生物質を飲むのは好きではないが、この期に及んでは仕方ない。さすがに2週間くらい飲んだらかなり治ったが、なぜか完治しない。ずぼらに化膿した足を風呂につけたりしていたから治りが悪いのだろうかとか、歳をとって血流が悪いから自然治癒力が落ちているのだろうかと考えていたが、駐車場を片付けていてふと息子の夏用のサンダルを見つけた。僕がこの数年履いていたのは、つま先を丸く覆った流行のサンダルだった。一見オオサンショウウオのように見えるやつだ。ひょっとしたら、朝晩2回のウォーキングの度に、親指の爪を圧迫していたのではないかと気がついたのだ。朝晩20分づつ歩くことでいったい何千歩の歩数を稼いでいるのか分からないが、その歩数分だけ爪に先端から指の付け根のほうに圧力を加えていたことになる。さすがにそれを数年続ければ、さすがの爪の支持組織ももたなかったのだろう。僕が爪をあまり短く切るのが好きでないのが一番の理由だと言うことにも気が付いた。以来白い靴下に海水浴用のサンダルで一日を過ごしている。薬局の中でもそうだから足元を見たら、祭で神輿を担いる人を思いだすが、姪は御法度の裏街道を歩いている人のように見えると言っていた。  サンダルに変えてから見る見る間に治って、今は肉の部分はなんら問題はない。風呂につけることも出来る。さてこれからかつてのまともな爪にどのくらいで生え変わるか分からないが、今回のことで教訓は得た。数少ない引き出しの中から答えを求めてはいけないこと。回答を追い求めるときには新たな引き出しを作る努力も並行して行わなければ進歩がないこと。些細なところにも正解は転がっていること。そして転んでもただでは起きないと言う、品を保った貪欲さ。この歳にしてそのすべてが欠けていた。