緊張

 あるおばあさんが、わざわざお礼に来てくれた。いつもならお嬢さんだけが薬局に入ってきて、処方せん薬を持って帰るのだが、今日は違った。「助けていただいてお礼を言いたかったんです」とそれこそお礼を言われたのだが、僕は実はお礼を言われたこととは違う次元で驚いていたのだ。  丁度1週間前に、お嬢さんから電話がかかり、母が辛がっているから漢方薬を作ってもらえないかと頼まれた。電話を代わった老人は92歳で、受け答えも何ら問題なく、母のことを思えば羨ましいくらいしっかりしていた。おばあさんの訴えは、ゲップが出そうなのに出なくて苦しいのだそうだ。そのせいで食欲も落ちて痩せてきているというのだ。もう1ヶ月くらいそんな症状が続いているらしい。1日中ゲップのことを思って「気持ち悪くて、気持ち悪くて仕方ない」そうだ。  その家庭を僕は良く知っている。家族の方全員が朗らかで、ストレスなんか無縁で幸せ一杯の家・・・のように見える。実際そうだと思うし、そうなのだ。ところがおばあさんが僕に依頼した症状は明らかにストレスから来たものだ。今週も数人同じような漢方薬を作っているが、ほとんど20代だ。多感な世代が陥りやすい症状だ。ところが90歳を越えている人からほとんど若者と同じ症状を訴えられ、ほとんど同じ漢方薬を作り、5日目くらいで完治した報告を受ければ、老いても尚人は戦いのモードで生きなければならないのかと、驚き考えさせられたのだ。  今日お嬢さんが他の用事できたときに、おばあさんのストレスについて尋ねたら、あることを教えてくれた。90歳の女性が失うことの恐怖で緊張し、若者達が手にすることが出来ない恐怖で緊張する。どちらがより絶望的なのだろうと考えさせられ、薬を作る手がしばしば止まった。