屠殺場

 夕方は仕事中だからほとんど見ることが出来ないが、朝は毎日でも見ることが出来る。ただ目を見張るほど美しく空が焼けることは少ないから、昨日の朝のように目が釘付けにされることは滅多にない。 あの朝焼けを芸術的だと評論するのは正しくない。それだったら芸術の方が上位にあるように聞こえてしまう。当然自然に人為が勝てる訳が無く、ただひたすらに受け入れるしかない。  妻がしばしばテレビを見ながら口にすることがある。「こんなに素晴らしい景色を放射能で汚してしまった」と。いたって感性的な言葉なのだが理屈よりは訴えてくるものがある。綺麗な風景を見せられれば見せられるほど、失った価値の大きさに気がつく。もう立ち入れなくなったところ、もう口に出来なくなったもの、それらの損失はあいつらを極刑に処しても釣り合うものではない。操作のメスが入らないから大手を振って歩いているが、いやますます醜く肥えているが、いつの日か正義というものがこの国に復活したら、奪い取られた人々の溜飲も下がるだろう。そうでなければ果てしない絶望にただ耐えただけの都合の良い民で終わってしまう。平成の世に生きて家畜のように虐げられてどうする。屠殺場に入るのは民の方ではない。