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 この表現についていけるのはやはり僕も一応海の子だ。 主語も目的語もないワンフレーズを聞いただけである行為の全貌が描ける。  本物の漁師ではないけれど、漁業権を持っている人は意外と多い。休日に船で釣りを楽しむ程度なのだが、結構贅沢な趣味で、あれが見るからに漁船ではなかったら、どんなお金持ちの遊びだろうと、ひがんで見てしまうかもしれない。実際にはごく普通の釣り好きの人達ばかりだから、羨むほどのものではない。  今日、その種の人から、カワハギを一杯もらった。多い日には60匹くらいご主人が釣って帰るらしいから、処分に困るそうだ。奥さんが60匹裁くのも大変だろうが、それを食べさされる家族も大変だ。こうした冗談のような困り事は結構釣り好きの家庭には起こることで、奥さんが愚痴ることもしばしばだ。そんなたわいもない話の中で「逃がす」という言葉が数回出てきた。国語的に正しいのかどうか分からないが、僕にはすぐに意味が分かった。最近でこそそんな会話をする人はいないが、嘗ては大人の漁師達の会話の中でよく聞いていた懐かしい言葉だ。 「NHKに電話をして文句を言ったんよ」という穏やかでない言葉の後にその「逃がす」は出てきた。釣りの会話の中で逃がすなんて言葉が出てきたら、それはもう魚を逃がすこと以外にはあり得ない。ところが本当の海人達の「逃がす」は船を避難させるという意味なのだ。NHKの天気予報が地方を通過中の台風に関しては古い情報しか流さなくて、都会に近づいたらリアルタイムの情報を流すと、その差別を怒っていた会話の中で出てきたのだから、船を風や波から守るために移動させるという意味なのだ。「リアルタイムで天気予報をやってもらわないと、船を避難させることが出来ない」という内容が「逃がせれんじゃろう」のワンフレーズで終わってしまう。この超省略は同じ空気を吸ってきたものでないと分からない。幼いとき、祖父に連れられて毎日魚市場で荒々しい漁師達を見てきたから、今でもあうんの呼吸で分かる。  別に大したことではないのに、海で暮らす人達と共有できる言葉を今でも忘れないでいたことが少しだけ嬉しかった。