製造中止

 又かと言いたくなるが、目の前に腰掛けているセールスに言っても仕方がないので黙っていた。ひたすら低姿勢で彼は謝っていたが、僕に謝ってもらう理由はない。何回「どうってことないよ、自分のせいではないのだから」と繰り返してもただただ謝ってくれる。僕は彼より優位な立場にいる人間でもないし、勿論彼より下でもない。皆な同じというのが僕の基本的な考えだから、上になったり下になったりするのは好まない。誰が悪いのでもないから時代のせいにしておこう。見えないもののせいにしておけば人は誰も傷つかない。それがいい。傷ついても傷つけても心は空しいから。 この所相次いで薬の製造中止の連絡が入る。もう何十年も薬局で推奨していたようなものから、この数年華々しくデビューしたものまで様々だ。理由は至って簡単だ。利益が出なくなったから。以前なら、その様な商品を数点抱えていても、他で利益が出せるからメーカーも製造は続けていた。患者さんのためを思って我慢して作り続けていた。ところがこの数年、その経済的な余裕のなくなり方が、せめてもの商道徳の防波堤をいとも簡単に乗り越える高波となった。その勢いは止まらないし、止められない。収入が目減りしている国民がより多くの薬を購入するなんて考えられない。寧ろ多少の疲労や病気は我慢するようになった。売れなければ作らない。損をしてまで作らない。ドライな選択だがそれに口を挟むことは誰にも出来ない。仲介役の僕らは作り続けてとお願いするしかないのだが、末端のセールスに言っても会社の上層部に声は届かない。薬局の段階で今までどおりの効果を他の薬で得てもらえるように工夫をするしかないだろう。  掃いて捨てるほどの物を作り、掃いて捨てるほどのお金で買い、掃いて捨てるほどの贅沢心を満たしていた虚構の時代は終わった。欲しがりません勝つまではの親に育てられ、欲しがりました何もかもで育ち、欲しがれません何もかもで完結するのだろうか。