仮面

 もしセクハラにならないなら、抱き合って喜びを分かち合いたいくらいだった。勿論電話だからそんな西洋人みたいなことも出来ないし、似合いもしないから想像だけだが、それくらい嬉しかった。毎日気になる人は一杯いるが、特にその女性はいつも頭の隅にこの1か月の間あった。  かなりの劇薬でも痛みを抑えることが出来ない、その薬で胃はやられ口内炎も出て食事が摂りにくい。おまけにひどい倦怠感。それでも年金生活の母親を養うために働かなければならない。運の悪いことに、派遣切りが横行する今、病気がバレでもしたら首になる。切れ間なく襲う痛みを隠して働くことが出来るのだろうか。でも彼女はそれをやっている。なんとしてでも、その痛みを消してあげたい。僕の体調が優れないときは、彼女を想った。苦しみの一端をほんの少しでも分かち合いたかった。僕は今度の漢方薬が効くことをずっと願っていた。  薬が切れる頃電話をもらった。明るい声だった。久々に聞く明るい声だった。僕が前回変更した処方がよく効いて、痛みが軽くなったそうだ。そのおかげで今まで飲んでも効かなかった病院の痛み止めが効くようになったらしい。それだけでも嬉しいのに、胃痛、倦怠感、口内炎も治った。勿論その女性本来の病気はまだまだ治らないが、苦痛はかなり取り除けた。本人が素直に喜んでくれていることがとても嬉しかった。  もう1人。死にたい死にたいという女性がいる。その女性が、今日、死にたいなんて考えなくなったと言った。漢方薬もよく効いていると思うけれど、最近頼られることが出来たことが大きいと自分で分析していた。確かにこれは大きな変化だ。頼ることばかりだった彼女が人に頼られるなんて。ある、不幸に遭遇した人の相談に偶然乗り始めて、次第に外出できるようになり、生活のリズムも自然に近くなったらしい。自分の不幸の経験が他者を救うことが出来ることに彼女は気がついたらしい。勝者に敗者の気持ちは分からないだろう。敗者でしか敗者は救えないのかも知れない。僕は彼女のすっぴんを初めて見た。いつも薬局に来るのにどうしてと言うくらい着飾って化粧をしてくるのに、もう仮面は必要になくなったのだろうか。  こんな嬉しいことと同じくらい、力になれないケースもある。力不足なのか限界なのかと自問を繰り返す。喜びと落胆とを繰り返しながら日々は過ぎていくのだけれど、僕の気力は季節に置いてけぼりをくらい、そろそろ1週遅れになりそうだ。