馬鹿

 メールの最後に、「私、馬鹿なんです」と結んであった。もうずいぶん前にもらったメールなのだが、その最後の一言がいつまでも印象に残っていて、何か高等な小説の一部分を彷彿させるようなインパクトが未だ保たれている。恐らく本人は素直に、いつも自覚していることを書いただけなのだろう。馬鹿が何を意味するのか知らないが、高校生だと言うこと、あるいは脈略から、単純に学校の成績を指しているような気がする。バイトにも行っているみたいだから、いわゆる進学校ではない。でもお腹を治したい理由に、何か夢があると言っていた。その夢のために治したいと言っていた。怖かった学校も楽しくなったと言っていた。  自分を素直に卑下できる女生徒がどんな人なのか会ってみたいと思った。会ってみたい人は一杯いるが、たった一言でそこまで思わせた人は珍しい。恐らく学校の成績なんかでは量れない魅力的な「馬鹿」の人は一杯いるのだろう。こんな人達で世の中は成り立っていて、人と人との緩衝地帯を作り上げてくれている。馬鹿でない人が導いて、馬鹿でない人が作った兵器で、馬鹿な市民や子供達が焼かれながら殺されている。馬鹿でないことがどれだけ罪深いのだろう。馬鹿であることがどれだけ人道的なのだろう。ちょっとした火傷でも辛いのに、体中、それも消せない火で生き地獄さながら焼かれて、何を思いながら息絶えていくのだろう。馬鹿でないことの愚かさがどれだけ人類を苦しめたことか。  不思議に思うかもしれないが、今日初めて年賀状をみた。素敵な人達から頂いていた。主義を貫きたいから、こちらから年賀状はもう何十年も書いていない。じっくり今日読んで、未だ会ったこともない人達、訪ねてきてくれた人達、尊敬する方、会わなくても一瞬にして青春に帰れる人、みんな僕にとってはとても大切な人達からのものだった。一人一人心を込めて賀状を返さなければならないのだろうが、賀状の手段をとらずに心をいずれ伝えたいと思う。 「私、馬鹿なんです」と言ったその子は今年中に完治するかな。後何十年、素晴らしい人生が待っていてくれたらと願わずにはおれない。苦しんだんだから、幸せにならなければ。誰も傷つけずに生きてきた素晴らしい青春前期なのだから。たった7文字の青春に参った。