ちょっとちらついただけなのに、雪が降っているのを見つけた女性が大きな声で叫ぶと数人が玄関のところに集まってきて、楽しそうに外を眺め始めた。大人の女性ばかりだったのだが、まるで子供のようだった。あまりの感激ぶりに初めて見たのかと思い尋ねてみるとそうではないらしい。それはそうだろう、もう充分日本語を話せるから、相当の年月日本にいるはずだ。岡山県でも年に数回は雪が降り、時には積もりもする。何年か前積もって綺麗だったと、嬉しそうに話していた。 運良く、僕が接する人達は恐らく何の問題もないのだろう。毎週屈託のない笑い声や、甲高い特有のしゃべり方に接することが出来る。結構お節介焼きで、小さなところにも気がついて親切ぶりに恐縮することもしばしばだ。  明後日、強制的にフィリピンに送り返されるかもしれない中学生の子供をテレビが放映していた。両親が不法滞在していたらしいが、日本で生まれ日本で育った子が、フィリピンに行けばそれこそ外国だ。言葉と食べ物と習慣、それだけ違えばもう充分異国だ。そこに突然追いやって、その子がどうなるというのだろう。素人でも分かる。  雪を見て喜んでいる女性達の子供に時々会うが、完全に日本人だ。ちょっと浅黒い顔色以外に、外見から彼らのDNAを読みとることは出来ない。果てしなく日本人なのだ。アンジェラアキの、手紙 ~拝啓 十五の君へを合唱している姿が痛々しかった。一五の君は大きな得体の知れない漠然とした機関からどんな手紙を受け取るのだろう。懸命に良心的に暮らしている家族が、どれだけこの国に貢献しただろう。有り難うの手紙は届いたのか。郵便受けに氷点下の錠前。