頑張りすぎ病

 早朝から気温はぐんぐん上昇していた。旭川の河口付近、京橋は、昨夜の花火大会の後かたづけのボランティアの人達が、軍手にビニール袋の定番の格好で、ゴミを集めていた。所々に集められたゴミ袋は山になり、もうすでに腐敗臭を発していた。祭りは、多くの人の善意でやっと幕が下りる。4000発の花火が上がったとニュースで伝えていたが、上がった花火より、捨てたゴミの方を伝えるべきだ。  僕の目の前で、ホームレスが残飯を器用にゴミ袋から取り出した。腐っていないだろうものを素早く選び出し、足早に去っていった。その傍で、烏が2羽順番を待っていた。人様より下。烏より上。誰がこんな新種を作ったのだろう。  心を病んでいた女性と1年ぶりにあった。少し太って元気になっていた。以前の鋭い表情が消えて、優しい顔になっていた。単純に嬉しかった。音楽の話を少しだけした。向こうがその道のプロだから、僕が教えてもらっただけなのだが。「自分は、頑張りすぎ病だから、少しは抜かないとだめよ」と言うと、「よく分かりますね、昨日も研修医の先生に言われた」と驚いていた。僕は自分の職業を明かしていないので、それ以上は言わなかったが、「頑張りすぎ病」で自分を追い込んでいく人達を多く見てきている。その逆の人もきっと多いのだろうが、そんな人は患わないので縁がない。何かで、どこかで馬鹿になることが無いと現代人はもたない。不器用に頑張りすぎてはいけない。器用に抜かなければならない。真面目一点張りの生き方は不真面目だ。程良く頑張り、程良く抜いて、そこそこの評価に甘んじ、そこそこの醜聞に耐える。祭りの後の腐敗臭をかげば、頑張りすぎることの空しさに気が付く。