中庸

 僅か数年の内にこんなに変わるのか。いやいや、この変化こそが当たり前だ。 家から出るのも困難。当然、学校は行けないし、乗り物にも乗れない。美容院、歯医者、出来ないことより出来ることを上げる方が早かった。青春前期は劣等感の固まりだった。そのおかげか文章はとても上手だった。言葉に出せれないつらさを昇華して、豊富な語彙でいつも綴っていた。ガス漏れで人に迷惑ばかりかけていると言っていた。どこに行っても周りの人が鼻を押さえたり、咳き込んだりすると言っていた。  僕は何を治したのか。10代の子の自然と開く肛門を治したのか。皮膚から漏れるガスを治したのか。自然と漏れるガスを無臭にしたのか。いえいえ、そんなことはする必要もないし出来るはずもない。(肛門括約筋を強くすることは確実に出来る)僕が強くしたのは、消化器系と心。逆に弱くしたものもある。いつも仮想の敵を作りファイティングポーズをとり続けている緊張感。弱いところを強くして、強いところを弱くするのが、中庸を重んじる漢方の極意だ。右でもない左でもない、上でもない下でもない、強くでもない弱くでもない、重くでもない軽くでもない。まさに中間、バランスのとれた真ん中に戻すことを目的とする。これが中庸だ。  中庸を得た彼女は、都会で自由に暮らしている。彼が出来て、彼女の匂いを「とてもいい香り」と言ってくれるそうだ。当たり前だ。若い女性だからいい香りをしているに違いない。人間も含めて、全ての動物が若ければ美しい。幼ければ可愛い。当然のことだ。数年前、数日一緒に行動したが、何の香りもしなかった。彼ほどは接近しないからだろう。彼女から発するものが変わったはずはない。数年前も今も同じだ。変わったのは、彼女の意識だ。取り戻した自信が、客観的な判断を呼び起こした。ただ、それだけのことだ。  想いで自由を失ったのなら、想いで取り返さなければならない。僕はたったそれだけのお手伝いを漢方的にしているだけだ。