引退

 何となく、何となく日はたっていくものだ。昨日までは押し寄せていた人達も、今日は冷たい雨に流されたようにいなくなった。いつもの落ち着いたひなびた町に帰った。一瞬夜空で破裂した花火のように、輝きもしたが、それは夜が暗いことを教えてくれる輝きでもあった。  いっぱいすることを用意し、時間割を決めないで、順番を決めないで、行き当たりばったりの時間を過ごすことを決めていた。出来ればよし、出来なくてもよし。結果が必要ない、評価されないことの気楽なこと。いかに日常が、結果ばかりを要求されているのかよく分かる。もう何年も、心も身体も緊張し、戦いのモードに固定されている。心も身体も休んで、筋肉の緊張がとれたら、もう少しは健康になれるのかと、この数日で疑似体験した。しかし現役の間はそれは無理か。引退したら、今まで経験したことがないような穏やかな心身が保証されるのか。  ある日突然降ってわいた緊張に涙するお母さんがいた。ニュースで流れる映像は、戦いのモードを休息のモードにスイッチして想い出をいっぱい背負っている人達を写す。しかし、こんな日にも、母として戦いのモード以外にはあり得ない生活している人もいる。痛いほど分かるのだ。一つ一つの言葉が痛いほど分かるのだ。母としての引退はないのだ。引退して心の平安を得ることは出来ないのだ。僕の職業的な引退とは次元が違う。母の大きくて深い愛は、大きくて深い悲しみにも代わる。母こそ幸せであるべきなのだ。