北海道と東北5県の産業保健推進センターによる共同調査で、たばこを吸う人はすわない人に比べて鬱症状になりやすいことが分かった。特に時々吸う人が鬱傾向が強いらしい。要は「一服」はストレス解消にはならないのだ。 僕が初めて吸ったのは、浪人時代、大阪の万博に行くための夜行列車の中だ。浪人仲間の誘いでつい吸ってしまった。それから15年くらい吸った。学生時代、食費はなくてもたばこ代はあった。風邪薬を買うお金はなくてもたばこ代はあった。バス賃を倹約してかなりの距離を歩いていたが、たばこ代は倹約しなかった。薬大に入学して病気について勉強するのかと思ったら、ほとんど化学者みたいな授業ばっかりで、5月にはその道はもう諦めた。この調査の結果を読んで当時を振り返ると、たばこを吸わなくても鬱になるべく状況だったが、たばこのせいで余計鬱々としていたのかもしれない。自虐的に過ごした日々だった。水面下から揺れるフィルターを通して世の中を見ているようだった。直視すれば惨めになるから、空虚な笑いで精神の空腹をごまかしていた。乱読した文庫本は薄暗い喫茶店の中で、たばこの脂が染みついた。劣等生のレッテルが妙に居心地良かった。一番しがみついていたところの自尊心が一気に失せた。道ばたに捨てられたしけもくにあこがれた。頑強な身体には恵まれなかったが、生命力はさすがにあの年代では備わっている。それが救いだったのだろう。だから立ち直れた。長い休息だったのかもしれない。旅の寄り道だったのかもしれない。バイクに乗っても、自転車に乗っても、歩いてもたばこをくわえていた。何のためだったのだろうとつくづく思う。自制の効かない転がり落ちる鉛の玉のようだった。なぜ最後まで転がり落ちなかったのか未だ分からない。何かが止めてくれたのだ。何だったのだろう。