ビニール袋

 おそらく商店街のアーケードの下で夜露を凌いで、食べ物にもありついて、朝を待った男達が幾つものビニール袋を獲物のように大切に抱え、ふくろうのように穴へ帰っていく。入れ替わりに健全な人達が今日のイベントの準備で、早朝から集まっている。それらは明かに時間で区別されているのだ。同じ土地の上に立ち、同じ空気を吸っても、お天道様が明るいうちは浮浪者には似つかわしくない。  今日の健全は明日の健全を何ら保証しない。明日もお天道様の下で暮らせられるとは限らない。いつ健全がビニール袋を抱えて、商店街から追い出されるかも分からない。   何が本当に必要で、何が本当は不用なのか分からない。ただ言えることは本当に必要なものなんてそんなに多くはないと言う事だ。持てば持つほど失うことを恐れ、不自由になっていく。持たなければ自分を失うことすら怖くない。ましてものなどに執着は起こらないだろう。  商店街から消えた浮浪者がどこに行くのか分からない。華やかな宴が終わって、捨てられた秩序をあさりに又彼らは日没と共に戻る。何に追い詰められたのか知らない。失うものを失くした者のしたたかさを、野良猫が屋根の上から眺めている。