災害

 もう、岡山県が災害が少ない県などと口が裂けても言えない。条件さえ揃えば、災害が多い県に負けないくらい大規模な災害に遭遇することもあるのだ。昨夜から何度も空襲警報かと言うようなサイレンで起こされ、妻のスマホの警報で起こされ、睡眠が本当は足りていない。ところがやはりどこか緊張しているのだろう疲労を感じない。
 瀬戸内の典型的な港町の牛窓は、前に海、背後に山を抱える地形が多い。牛窓もその典型だ。だから雨は怖い。高潮も怖いが、高潮は命までとらない。がけ崩れは今回も報道されているように命を多く奪う。それもかなり悲惨な方法で。深夜に繰り返し避難するように言われても、誰も避難なんかしていない。20年くらい前に、今回よりはるかに大きな雨が続いたことがある。その時は牛窓でも土砂崩れがあったが、あの記憶を基準にして考えるから、避難するほどでないのはよく分かった。だから誰一人避難しなかったのではないか。
 今だ経験したことがないとか、50年に1度あるかないかのなど言われると、つい聞き間違えてしまいそうだ。例のアホノミクスと。今だけ経験したことのない嘘つきとか、ワルとか、気の弱い・・・などなど。50年に1度いるかどうかの嘘つきとか、50年に1度いるかどうかのワルとか、50年に1度いるかどうかの気の弱い男とか。
 雨と雨の間少しばかり明るくなる空さえ似ている。アホノミクスがのさばっている間、社会は土砂降りだ。お日様を見ることが出来ない人間が溢れている。

口癖

 「ええ薬なんじゃなあ!それを飲んだら気持ちが落ち着くんじゃ~」僕の口癖だ。多くの人が、老いも若きもとてもありがたがって飲んでいるのが安定剤。だいたい言葉の響きがいい。心を安定させるかのごとき、名前を聞いただけで気持ちが安定しそうだ。
 名前を用途によって変えても、所詮睡眠薬と同じだ。安定剤を出されているもともとの疾患はそれこそ一杯あるが、それが睡眠薬で治るはずはない。飲んで1,2時間、睡眠薬だから不安感は軽減されるだろう。だからその後又正気に戻ると余計不安になり、又薬に手が伸びる。本来は不安時に飲めばいいものだが、ついつい毎食後服用になったりする。僕が感嘆するのは、その薬が皆さん止めれなくて、一生病院通いをいとわないことだ。もし僕の薬局でそこまで強烈な信者を作ることが出来たら経済的には安泰なのだが、残念ながら薬局にはそんな魅力的な商品はない。懸命に体によいものを説明しても、なかなか手を伸ばしてくれないし、飲み始めてもすぐに止めてしまう。そこで依存が成立するものと善良な商品との差が出る。
 もっともこれで人生が救われている人は一杯いる。医療になくてはならないものであることは疑いがない。僕が言いたいのは、それなくして生活できるようにもっと努力したらいいのにと言うことだ。仕方ないから飲むのであって、仕方ない状態を無くするのが本来の目的だと思うのだが、その努力を多くの人がしない。依存が成立するのは結構早い。皆さんが考えている以上に早い。だから早い時間にそうした努力をすべきだと思うが、そうした努力をしている人に遭遇しない。皆が何故か居心地の良さに甘んじているように思えるのだ。
 余計なお世話はしたくないから、こちらからモーションを起こすことは決してしない。ただ、もどかしさの中で、僕ならこうすると日の目を見ない処方が頭に浮かぶ。

商圏

 いつか久しぶりに訪ねてきた厚生に精通している県会議員に「先生の薬局が潰れないのは、岡山県の七不思議の一つです」と言われたことがある。人口が数千人の町で病院の門前薬局もしていないのに、まるで化石のような昔ながらの薬局が存続しているから不思議なのだろう。
 昨日来たある漢方の会社のセールスも内心は同じような感想を持っているのかもしれない。ただ、実際に仕入れている漢方薬の額を彼は把握しているから、うちが潰れない事は分かっていると思う。彼は県会議員と違って、興味本位ではなく、僕の薬局が潰れない理由を知りたがっている。と言うのは、全国でもいわゆる漢方薬局と言うものが結構なスピードで潰れていっているのだ。逆に新規で開業する若い薬剤師はいない。となると、会社の業績に直結する由々しきことが起こっているのだ。会社によっては海外に活路を求めることもあるだろうが、僕が仕入れている会社(台湾の漢方薬を扱う会社)はそんなに大きくないから、そんな器用なことは出来ない。何とか既存の薬局に頑張ってもらうしかないのだ。
 僕が帰ってきたときのおよそ半分に牛窓の人口は減ったが、そのスピードに勝るとも劣らぬスピードで薬局も潰れて行っている。だから薬局が潰れるたびに、僕の薬局の商圏が広がっていったのだ。外から見たらどうしてこんな田舎に薬局があるのかと思うだろうが、少しずつ広がっていった商圏は、実は岡山市で営んでいる薬局より広いかもしれない。憧れの岡山市に薬局を移していても、これだけの商圏は出来ていなかったと思う。それと、立地に胡坐をかくことが出来なかった屈辱からのあの努力もなかったと思う。
 海と山があり、漁師と百姓がいて、人がどう生かされているか身をもって感じることができる町で生まれ育った幸運を捨てないで、薬局人生を全うしたいと思っていたが、それが叶ったのは、近隣の薬局が次々に廃業して、僕の一番の弱点だった「過疎の町の薬局」を払拭してくれたおかげだ。交通網が整備されたおかげで、今では両隣の兵庫県広島県からも直接来てくれる。もっとも、インターネットの発達で、商圏がなくなったとも言えるが、肌で感じる商圏は明らかに広がった。
 牛窓に帰ってから「物売り」に行き詰まり悩んだ時期もあったが、その時に漢方薬の師匠に逢えたことで父が免許を貰っていた薬局製剤と言う薬局のオリジナルの薬を作る権利が生かされた。多売を前提に作られているメーカーの漢方薬と違い、一つ一つ生薬を量って作る作業は全く非効率だが、作ると言う作業こそが飲んでくれる人との連帯を産む。緊張を強いられた現代人のトラブルは緩んでこそ治る。僕は田舎の薬局らしく、泥臭く患者さんと向き合う。いや、魚臭く?水臭く?
いつまでこの仕事が出来るかわからないが、小さくても何処にもない薬局は作れたかな?
 

丁重

 岡山市で医院などを手広くやっているお医者さんが今日訪ねて来てくださって、牛窓分院の調剤を手伝ってほしいと頼まれた。普通の薬局や薬剤師なら、もろ手を挙げて喜ぶのだろうが、丁重にお断りした。「まことに名誉なことですが、ご辞退させていただきます」と。
 帰られてから娘に報告すると「ありがとう」と礼を言われた。なかなか子供に礼を言われるようなことはないから、珍しい事だなと思いながらもそれでよかったんだと思った。病院の下請けをしていれば経営的には安泰だし、自助努力が要らない。患者さんは病院が作ってくれるから、ひたすら病院の意を損ねないことに注力して入ればいい。ところが僕はそのことが一番苦手なのだ。娘夫婦も恐らく僕に負けず苦手だろう。
 理事長先生にしてみれば、田舎の暇そうな薬局で、3人も薬剤師がいるから、手伝ってもらうことくらいすぐに承諾が得られると思ったかもしれないが、実際には娘夫婦は日曜日にも出てきて、ある介護施設の予備調剤をしているし、僕は毎朝6時から開店の9時までこれもまた漢方の予備調剤をしている。気力は勿論、体力もないし、時間もないし、欲も無いから、これ以上の負担は出来ない。もし調剤を受けるとしたら、薬剤師を雇わなければならない。そういった理由も挙げてお断りしたら、納得してくださったのか、最後の方は漢方薬の話をして帰られた。
 頑なに門前薬局を拒否する姿勢はこれからも続ける。そうしないと、漢方薬を欲する方に漢方薬を届けられなくなる。「医師を差し置いて」などと批判されたら手も足も出なくなる。僕のわずかに残っている存在意義が「医師でも治せないもの」なのだから、今の自由は大切だ。誰にも気兼ねなく、困っている方の世話をする。当たり前過ぎるくらい当たり前の実践だ。

 お医者さんみたいに命を救うことは出来ないが、生活を救うことは僕達にも出来る。特にお医者さんでは埒があかない場合に僕らの出番だ。
 この女性は20年前から腹痛で苦しんでいた。当時結婚や就職で一気に環境が変わったせいみたいだ。良くある話かもしれないが、うずくまるほどの痛みが20年も続くのは良くある話ではない。当然体重は増えずにモデル体型を大きく越えている。食欲もなく日々の生活は、楽しいものではなかったろう。
 僕の漢方薬を飲み始めて1ヶ月たった。電話で話をするのが3回目だが、顔を見なくても明るくなったのが伝わってくる。声も落ち着いて大きくもなり、何より電話の向こうでよく笑ってくれ始めた。
 彼女が嬉しそうに報告してくれたのだが、何と3年ぶりに新幹線に乗って東京に行けたそうだ。新幹線の中で腹痛がしたらしいが、僕の漢方薬を飲んだら20分くらいで収まったそうだ。以前ならその後何日も動けなくなるそうだが、20分で治ったことで「これからお腹が痛くなっても20分もすれば解決する」と言うことが分かって大いに自信を持ったみたいだ。ちょうどアメリカから帰国している友人にこれでいつでも逢えるというようなことを言っていた。
 どうして遠く離れた僕の薬局を探し当ててくれたのか分からないが、こんなに田舎の薬局が人生を良質のものに変えてくれるとは思っていなかっただろう。藁をも掴む気持ちで接触してくれたのだろうが、後悔させることがなくてよかった。

度胸

 土曜日の夜、何気なくNHKのテレビを見ていたら、なにやら登山家のドキュメントらしきものをやっていた。普通ならまず僕が登山に関するものを見たりはしない。興味がないに尽きるが、何故か僕は釘付けになって最後まで見てしまった。
 全く縁遠い世界なので、見るものの全てが初めてのことばかりで、危険を顧みずに、恐らく征服者としての誇りのために上るのだろうが、あまりにも命がけなのが不思議だった。もっとも70度の氷の斜面を登っていくのだから、命がけと言うより、命を落とす前提みたいなものだ。そもそも凍りにピンを差込、それでそのピンが抜けない前提で全て事を行うことが出来る勇気には感服する。実際に撮影中に滑落しそうになったが、。そのピンで中ずりになって助かった。もしあのときにその氷の壁に刺したピンがゆるくて外れていたら、何百メートルも滑落して死んでいただろう。
 1日をかけて300メートルくらい登り、どこか平らな岩を見つけてテントを張る。眼下には数百メートルもある氷の断崖だ。よくもそんなところで眠れるなと思うが、その度胸たるや半端ではない。僕はその映像を見ていて、彼に勝るスポーツマンはいないと感じた。いみじくもサッカーのワールドカップが行われ、汚いプレーをした日本チームが非難を浴びていたが、その汚さと、登山家の懸命さのギャップが激しく印象付けられた。そもそも僕はサッカーに興味はなく。年収200万円にも満たないような人間が、何億、何十億と稼ぐ彼らを何故応援しなければならないのかと思っていた。外国の選手はまだそれに〇を一つ増やすみたいだからなおさらだ。
 命がけの人間と金がけの人間の収入が逆転してはいけない。命がけで仕事をしている人間は世界中に一杯いる。そうした人たちに富は配分されなければならない。ゆめゆめボールを蹴るだけの人間に上げたりしないで。

 

感動

 ゲストの舞太鼓あすか組の創始者のあすか氏が、いみじくも挨拶で述べていたように今日の第10回さぬきの鼓響に出演した7つの香川県の和太鼓集団はレベルが非常に高い。これだけ出ればどこか一つくらい「出してもらった」和太鼓の集団があってもいいと思うが、それが一つもない。1団1曲だから完成度の高いものをもっては来ているだろうが、その曲を聴いたら実力のほどは分かるから、押しなべて高水準のチームが県内には沢山あるってことだ。岡山県ではどちらかと言うとどのチームも先細りみたいだが、香川県は逆で、若手、或いは少年少女たちまでが着実に育っている。将来を見据えているのだ。そして幼い子供達でさえ、大人顔負けの太鼓を叩く。
 ゲスト出演の舞太鼓あすか組には圧倒された。先週丁度ドラムtoタオウィ見たばかりだが、小ビジネスとしては圧倒的にタオに軍配は上がるが、技術と力強さでは舞太鼓あすか組が圧倒的に勝る。さすがあれだけの演奏を聴かされると、そしてあれだけの肉体的な鍛え方を見せられると、感激しない人はあまりいないのではないか。それが証拠に、結構紳士的な聴きかたをする香川県の人には珍しく、熱い声援が送られていた。一緒に連れて行ったかの国の初来日の女性達も、初めは椅子に浅く腰掛け眠る体制のような格好で聴いていたが、やがて背筋を伸ばし、自然と手で拍子をとりながら楽しそうに聴いていた。一人の女性は指笛がとても上手で、最初は僕の奇声にまぎれて吹いていたが、そのうちここぞと言うところでは積極的な拍手と指笛で声援を送り続けていた。
 2週続けてのハイレベルな和太鼓を聴けて幸せだった。そしてフェリーからの眺めや瀬戸大橋からの眺めをとても慶んでくれたかの国の新人達がいてこれまた幸せだった。和太鼓集団から頂いた大きな感動を僕だけのものにするにはもったいなさ過ぎる。おすそ分けしなければ、感動が僕のところで溜まり過ぎる。