僕は幼馴染だし、牛窓に帰ってから20数年間あるスポーツで行動をともにしていたから彼を嫌ではない。御法度を何回か破って法務局に2回長期出張をしたことがあるから、この町では悪名をとどろかせている。ただし、彼は2万円くらい借りて払わなかっただけだから凶悪ではない。ただ借りた相手が多すぎただけだ。中には絶対許せない人がいたのだ。多くの人は許すというか諦めたというか、訴えるようなことはしなかったが、2人許すことが出来なかった人がいたのだろう。
 小さな町だからほとんどの人は知っていて、出入り禁止のところも多い。僕は幼馴染でもあるし、吉本新喜劇ばりの冗談が好きで以前と変らぬ付き合いをしているから、時々他の客の目を盗むようにやってくる。まあ、目を盗むのはかまわない、以前のように金を盗んではいけないが。最近気がついたのだが、それも娘が指摘して気がついたのだが、彼が来るときは少しばかりの金を借りに来るときと、誰かが亡くなった時だけだ。金を借りに来るときはすぐ分かる。金借りオーラが出るらしく100%当たる。やはり前科があるから後ろめたいのだろう、他の客がいないのを見計る。目をキョロキョロさせながら入ってくる。
 もうひとつの理由は、誰かが亡くなったと言う情報を耳にしたときだ。どこでどういう風に情報を仕入れるのだろうかと思うくらいよく知っている。例えば僕たちは誰が亡くなろうとそんなに話題にしない。ところが彼にとってはとても体質な情報らしくて、誰かが亡くなると必ず現れる。そしてもったいぶって教えてくれる。
 僕はさすがに薬局を利用してくれる人のことは興味あるが、他の人のことまで興味はない。しかし彼は何か特別な情報でもつかんだかのように意気揚々とやってくる。こちらがまだ聞いていない情報だとしたり顔になる。ただ、さすがに彼も誰かが亡くなるのを喜んでいるのではないと思う。おそらく亡くなったニュースを持っていれば敷居が低くなると思っているのだ。彼にとっては空港を堂々と通れるパスポートみたいなものだ。まして情報が新鮮なら余計だ。恐らく僕のところだけの行動ではないと思う。いつもなら金属探知機の門を通らなければならないが、その時だけはフリーパスだ。
 「〇〇さんが来るときはろくなことがない」と娘は教えてくれたが、正にそのとおりだ。ただし、長い間かかわってきた僕としては切捨てなど出来ない。全うに近い暮らしぶりを彼がしていた頃にはどれだけ心を和ませてもらっただろう。この数年、見えない壁に隔離された生活を強いられている彼にとっては、人の不幸はまたとない魔法の扉なのだ。

平身低頭

【内閣総辞職を求めます】
財務省による公文書の改ざん問題が明るみに出ました。国会(国民)を欺く政府には、総辞職以外選択肢はありません。ともに声をあげましょう。
日時:3/7(水)19時半〜
場所: 国会前南側

 田舎に住んでいて何の不自由もハンディーも感じないが、むしろ今まで生きてこられたのはこの環境と穏やかな人間関係のおかげと感謝している。しかし上記のようなことに参加する機会はめっぽう少ない。一矢報いてやりたいとうずうずするが、なかなかそういった機会には恵まれない。だから今日目にしたこのメールも、迫ってくるものがない。いくら誘ってもらっても実現不可能なのだ。
 一体どこが先進国かと言うような疫人の太鼓もち振りを散々見せられて、まるで北の将軍様の国と同じことをしている様子を見せられて、その家族は恥ずかしくないのだろうか。「おとうちゃん、恥ずかしいからもう嘘をつくのは止めて」と訴えないのだろうか。逆に親は「汚いことをするもんじゃない。そんなことで出世などしなくていい」と言わないのだろうか。髭を生やせばヒトラーそっくりになるあの浮腫んだ気の弱い男にどうして高学歴の人間がへこへこしなければならないのだ。高校大学時代は優越感で反り返っていた奴等は、肝っ玉が小さいから低脳の政治屋に平身低頭か。何のために勉強したのだ。馬鹿に頭を下げるためか。そんなのなら勉強しなかった僕のほうが正解だ。人に迷惑もかけないし、自由だ。一級の知能を持ちながら馬鹿にこき使われる大型犬にならなくてよかった。もっとも僕には資格がないが。ただ自慢ではないが、僕には一杯死角はある。死角だらけだ。
 

健康法

 折角温水プールの会員になったのに、仕事を終えてからではやはりしんどい。7時に仕事を終え、夕食を済ませてから8時頃出かけ、30分くらい施設にいて又帰ってくる。往復で40分車を運転することになる。帰りには何故か吐き気がして、生あくびも出て、睡魔にも襲われる。10時間働いたあとだから結構疲れていて、いくら25メートルを数回泳ぐだけでもこたえるのだろう。いくらでも泳げた・・・・そんな記憶は何の役にも立たない。
 これでは僕のガチガチの肩には役に立たないので、今朝、ウォーキングの途中で走ってみた。本当に走ると骨に負担が来そうなので、足を地面から離さないように、歩幅は歩くのと同じくらいに心がけた。言い換えると、走るように歩いた。すると体重が脊椎や腰椎を痛めることはない。その代わり走るように歩くのだから腕は前後に強く振ることになる。これで肩こりが楽になるのではないかと思ったのだ。
 夜、かの国の女性で、来日する前にマッサージの仕事をしていた女性が肩を揉んでくれた。その時に「オトウサン キョウ カタ ヤワラカイ」と言った。朝、走るように歩いたことなど忘れていたので単純に喜んだが、すぐにひょっとしたら今朝の独自の健康法が効を奏したのではないかと思った。昼食を10分から20分で済ませる以外ずっと働き続けているので、それも薬剤師の特徴で下ばかり見て仕事をするので肩が異常に凝る。色々な薬でごまかしながら来ているが、何とか完治させれないかといつも考えている。色々な運動も取り入れたが3日坊主にもなれないくらい諦めが早い。今朝の独特の健康法が旨くいけば本でも出せるかもしれない。タイトルばかりがセンセーショナルな本に翻弄されている人のよい不健康人たちのために何かいい方法はないかといつも探している。もしこの走るように歩く健康法が確立させれば是非ハウツーものとして出版したい。その時のタイトルを考えておかねばならないが、少しは候補が上がっている「肩こり解消、自公解消」「肩こり解決 モリカケ解決」「肩こりの裏側 アホノミクスの裏の顔」「独占肩こり 毒薬アホノミクス」

 

環境対策

 調剤用の漢方薬は500グラムのプラスチック容器に入れられている。僕は主に台湾製漢方薬を使い、その会社で作っていない処方は日本のメーカーのK社の物を使っている。ブシと言う特殊な生薬が入っているものは日本のS社の物を使う。今回はテーマでないから敢えては述べないがT社の物は絶対使わない。もっとも医者はほとんどT社だから保険調剤用には少しばかり在庫しているが。
 さて、最近気づいて意外だった事がある。と言うのは、日本ではゴミの分別が盛んだが、台湾のほうが繊細だということを見つけたのだ。僕は日本の製品は分別に対応しているものと疑いもしなかったので、空になった漢方薬の容器は、外側を覆っているビニール袋を剥がし、ボトルに貼っている商品名などを書いたラベルを剥がし、説明書を取り出し捨てていた。ボトルとビニール袋は埋め立てゴミに、ラベルと効能書きは燃えるゴミに。ところがある日ふと確認しておこうと思って初めて例の、矢印が二つ書かれた、そしてプらと書かれた循環を表すマークを探してみたら、台湾の容器には表示されていたが、何と日本のメーカーには無かった。以前から台湾の容器に張っているラベルはのりがとても少なめに使われていて、綺麗に簡単にはがすことが出来ることに気がついていたが、やはりあれもまた環境対策だったのだ。日本のメーカーのは完全にはがすことが難しいくらい糊付けされている。いつか日本のメーカーの人間が来たら教えてあげようと思っていた矢先だ。
 このことに気がついてから、日本の容器は中身が空になれば燃えるゴミとして全部捨てている。簡単でいいが、もったいない気がする。ほんの少々の心配りで環境問題にも貢献できるのに。
 こうした小さな発見だが、日本が他国に比べて優れていると錯覚させて、自分達の本質を覆い隠し、やりたい放題をしている政治屋や鬼業家が闇の世界で、いやいや堂々とお天道様の下で悪の限りを尽くしていることに結びつけて考えなければならない。日本一汚い男が美しい国などとうたうのだからこの国がアイツに食い尽くされる。

失念

 警察官においでおいでをされ広くなったところに車を誘導されてもなんら動揺をすることはなかった。もう随分と長い間、無事故無違反だから、うぬぼれで何かキャンペーンでもやっているのだろうと余裕で車を警察官の傍につけた。すると警察官がなにやらバインダーを正面に構えて書き込もうとしたから、キャンペーンでなく何か僕が不都合を起こしたのかなと言う懸念が頭をよぎった。しかしその時点でもなお僕には余裕があった。僕が交通法規を破るはずがないという長年の自信だ。ところが、警察官が僕のそんな自信を見透かしたかのように「後部座席の方がシートベルトをしていません」と呼び止めた理由を教えてくれた。
 専門用語か役所言葉かしらないが、こういうのを失念と言うのだと思う。数年前、税務署の方が調べに来た時に、ほんの些細なミスを見つけられた。その時に始末書を書かされたのだが、無知と書いたら、失念と書きかえさされた。その時失念と言う言葉を初めて聞いた。高速道路上では、後部座席の人もシートベルトをしなければならないという規則があることを今日初めて知った。悪意はなく法律が変ったことを知らなかっただけだから、正に失念だと思う。読者の方で知らない方もいると思うので詳細を書いておくが、1点減点で罰金はなし。点数は3ヶ月で復活し、ゴールド免許の資格は失うらしい。この程度で済んだら儲けもので、後部座席に陣取っていたかの国の女性たちのほうが怖がっていた。何故なら、かの国では交通違反をしたら、取り締まった警官にその場で金を渡すそうだから。サインをし指紋を押しただけで許されていたのを見ていて不思議がっていた。
 取り締まりに会った事は別として、いつか後ろの席の人間もシートベルトを装着するように頼もうと思っていたのでよい機会になった。あれだけインパクトが強ければさすがに彼女達も気をつけてくれるだろう。
 もう10回以上姫路城の中に入っているので、かの国の女性達だけで見学するように促して、出口辺りで待っていたら、結局3時間近く待たされた。薬の情報誌を持参していればよかったと後悔した。その間、生暖かい空気に包まれて、妙に新しい靴を履く東南アジアの人と、武士の格好をしたボランティアと一緒に写真を撮ってもらっても挨拶もせずに立ち去る白人とを交互に眺めていた。ブントッ(まあまあ)な春。

陰陽

 その女性が帰ってからしみじみと娘に言った。「薬局でもこんなにすばらしいことが出来るんだ」と。すると娘も同じようなことを感じていたのだろう「うちみたいな薬局だから出来るんだろうね」と。
 2ヶ月くらい前に初めて相談に来たときには、僕の目を見て話すことは出来なかった。そもそも顔も心も引きつっていた。どんな負荷がかかっているのか知る由もないが、相当なものを抱えていることは想像できた。初めて会う僕に対して猜疑心もあったのだろう、とても打ち解けられる雰囲気ではなかった。ただ、僕はこうした人が基本的には好きだ。勿論明るくて華やかで見るからに幸せそうな人も好きだが、そんな人に僕がお役に立つことが出来るのは、差し迫った体調不良、おおむね肉体的な不調だけだ。ところがこの女性の様な方に対して僕は、心身ともに立て直すことが出来るから、お役に立てれる範囲が広がる。これは喜びでもありやりがいでもある。陰が陽の衣を着ているような僕は、陽が陰の衣を着ているような人でも、陰が陰の衣を着ているような人でも、陽が陽の衣を着ているような人でも・・・分けが分からなくなった。要は僕はどんな人でも対応できる。ただし惹かれるのはこの女性のように陰が陰の衣を着た人だ。僕にはない個性だからだろうか、困難を予想させるからだろうか、俄然頑張ってしまう。そしてその人たちが陽の衣を自然に着てくれるようになると嬉しくてたまらない。本質は変らない。そんなことはできっこないしする必要もない。ただ。時には陽の華やかな雰囲気をかもし出すことが出来る心の余裕が生まれると魅力が増す。そんなお手伝いが出来ると嬉しい。
 この女性は今日やって来た時、珍しく体調の話から入らなかった。僕が家を貸してあげている匙屋さんの工房兼お店を見学してきて、その感想から入ってきた。そして彼女が古民家でお店をしたいようなことも語ってくれた。笑顔が絶えずに、女性ってストレスから解放されるとこんなに魅力的になれるんだと、ビフォーアフターで撮っておけば良かったと思ったくらいだ。
 薬局は命にかかわる病気に手を出すことは出来ないし、期待もされない。ただ、人生にかかわる病気には手を差し伸べることは多いに出来る。その為に病院の腰ぎんちゃくみたいな薬局をする気は毛頭なく、わが道を行く自由をいつも確保しておきたい。娘も明らかにその道を目指していると思う。

条件

 途中から見たので詳しくは分からなかったが、田舎に移住した人が何組か出てきて、「田舎の人は人が良くて親切」と異口同音に言っていた。田舎の人はと先につくところを見るとIターンかもしれない。Uターンならそんなこと当たり前すぎてあえて口には出さないだろう。
 田舎の人は親切だとか人が良いなどと聞くと、都会の人はそんなに薄情で悪人かと思うが、おおむね人は田舎も都会も善良だろう。ただ、時に好ましからざる人物が出て、評判を落とす。その割合は都会のほうが多いかもしれない。何故なら田舎ではその手の人は暮らすことができにくいからだ。まず隠れ場所がない。そして稼ぐ場所もない。何処に誰が住んでいるかなどわからないはずがない。夜行に徹すれば隠れることは出来るかもしれないが、そんな生活をしていれば命を削る。早死にしたくて田舎に来る人間はいないだろう。美味しい空気を吸い、美味しい水を飲み、太陽の恵みを頂いて暮らすために来る。夜行性なら都会で十分だ。眠らない街で起きていればいい。
 稼ぐところもない。田舎の人間は不器用だから全うに働いて、稼いだ分だけで暮らす。悪智恵を働かせて金を稼げるような暗闇はない。正当な労働の対価だけだ。その代わり捨てるくらいお金を使えるところもない。入る金もそこそこ、出る金もそこそこ、そうして歳月は過ぎていく。いい人であろうと意識することもなく、いい人であり続けれるのだ。分相応。それが自然に受けいられる所だ。虚構の生活を求めなければ、偽らなくてすむから力むことなく暮らすことが出来る。いかつい格好をすることもないから誰にもやわらかく接することが出来る。
 人が良くて親切は、都会の人から見ると移住の必要条件であっても十分条件にはなりえない。ただ田舎の人間に数式は要らない。何故なら人が良くて親切はそもそも無条件なのだから。