無防備

・・・・・・・・・・日常の緊張感は今はないのですかね。人生って意外と?面白くないでしょう。川の流れで海へ海へと流されていく落ち葉のような印象を持っています。ただ僕はもう河口に近いですが、あなたはまだまだ中流に近づいているあたりです。血湧き肉踊るようなものに出会えると、体温も上がるかも。春一番が吹きましたね。気持ちの良い季節の幕開けです。美味しい空気を一杯吸ってください。
ヤマト薬局

・・・・・・・・・・気持ちのよい朝が来ましたか?春一番ですね。暖かくなるだけでも嬉しいものです。いくら心の中が厳冬でも。
ヤマト薬局

 毎日多くの方からメールや電話を頂くが、僕の言葉から勇気は湧いては来ないだろう。果敢に戦いを挑むほどの価値はないと、今になっては思えるからだ。ごくごく普通に生きてきたから、光り輝くスポットライトに照らされたこともないし、街頭もない道を歩いたこともない。ほどほど、そこそこ、まあまあ、言葉を二つ連ねる表現で全て事足りた人生だ。僕の漢方薬を飲んでくれている人たちも、恐らくそこらあたりを目指しているのだと思う。もう少しだけ浮揚すればそこに辿り着ける人たちに、ほんの少々浮力を与えられたら僕の存在意義がある。僕みたいな田舎の薬局が出来るのは所詮その程度なのだ。
 メールを読んでも、電話で話しても、善良でお人よしで、臆病で繊細で、愛すべき人たちの雰囲気は伝わってくる。この言葉を全く裏返しにしたやつらに牛耳られている今のこの国で、列挙した性格はあまりにも無防備すぎる。

広報

 漢方薬を取りに来た女性が腰をかけるなり「義姉さん、亡くなったんだってなあ」と言った。言いながら東のほうを指差した。一瞬その義姉さんと言う言葉の理解が遅れたが、兄の嫁さんであることが分かり「えぇっ!」と思わず声を上げた。僕の家から数百メートル東で化粧品店を夫婦でやっていたから、確かに指差した方にいるし、慢性病を抱えてもいる。人の命などいつどうなるか分からないから、そういったことがあっても不思議ではない。ただし、血縁関係もないその女性が知っていて何故僕が知らないのだろう。確かに、僕ら兄弟はそんなに仲がいいこともない。いや悪いのではなく、クールなだけだ。それでも、さすがに義姉が亡くなれば兄も教えてくれるだろうとは思う。そこで女性に「奥さん、どうして知っているの?」と尋ねると「広報で見た」と教えてくれた。「牛窓で大和さんはお宅しかないじゃろう。お悔やみ欄の亡くなった人の下に、お兄さんの名前が出ていたよ。亡くなった人の名前が女性だったから、お義姉んしかいないじゃろう」なるほどそういうことか。それは母のことだ。母が亡くなって最初に発行された瀬戸内市の広報だとしたら辻褄が合う。
 「お袋は年末に死んだんですよ。名前は〇〇〇ではなかった?」と尋ねると今度は向こうが驚いていた。牛窓にお嫁に来てからずっとヤマト薬局を利用してくれている人だから50年以上の馴染みだ。当然母もよく知っている。少しうつ傾向のあるその女性は母が死んだことを聞いて泣き出した。こんなときにはまじめに対応してはいけない。痴呆で見舞いに行っても僕が分からなかったことはよく知っているから「〇〇さん、母が最後に言い残していきましたよ。〇〇さんに最後に一目でいいから会いたい」と。
 すると女性は今日初めて笑った。その後も10分くらい取り留めのない話をしただろうか。苦虫をかみ殺したような顔で入ってきたのに、最後には大声で笑うようになった。「来てよかった、来てよかった」と何度も繰り返してくれたが、亡くなった人が誰かはっきりしたのが来てよかったのか、笑えるようになったのが来てよかったのか分からないが、いずれにせよ最後は笑顔、これに勝るものはなし。

 

変化

 牛窓も牡蠣の養殖が盛んだが、牛窓より東にあるその町も盛んだ。そこで養殖をやっている方が牡蠣剥きとしてベトナム人を雇った。この冬5人雇ったら既に2人が失踪したそうだ。今まで失踪劇は中国人の独壇場かと思っていたが、ベトナム人お前もかになってきた。低賃金でよく働くことを買われて雇っているのだろうが、逃げられたらおしまいだ。恐らくかなりのお金をブローカーに出して来てもらっているのだろうから、元は取れなかったかもしれない。逃げたベトナム人はどういった資格でこれから日本に留まるのかしらないが、そうした人間がうじゃうじゃ身の回りにいることになる。個人としての好評価を最早国として覆しているから、良い印象を持たれることはこれからはないだろう。
 20万人が日本にいるのだから、コミュニティーは出来上がっている。ありとあらゆる情報が行き交い、欲望の坩堝と化しているだろう。雇い入れた漁師はこれからは中国人とベトナム人を半々にすると言っていた。ひとつの国で占められると今回のようなことが起こりやすいというのだが、そんなことで防げるとは思えない。日本人をどうして雇わないのと言うと、日本人の倍ほどベトナム人は牡蠣を剥くのが早いそうだ。そしてその倍の速さが中国人なのだそうだ。これでは日本人は太刀打ちできない。アジアの人を雇うのも頷ける。ただしその先、大きなものを失うのは見えている。それも取り返しがつかないほどのものを。ヨーロッパを見ていたら分かる。アメリカを見ていても分かる。
 真面目でよく働き親切、そして教育を受けている人が多い。ついこの前まで申し分のない評価を得ていたのに、今は見る影もない。個人の努力ではどうしようもない評価が確立されつつある。明後日家を出て行くベトナム人女性2人にした親切をこれから他のベトナム人にできるかと言うと自信はない。もうここまでで打ち止めにしようと思わなくはない。ただしまだまだ純朴な人が多い牛窓工場で働くベトナム人を見ていると、親切にして上げなければと葛藤する。もう既に変化は始まったのだ。ベトナム人だからではなく、〇〇さんだからに。

会者定離

最近、本当に見るに耐えない番組ばかりだから下手をしたらコマーシャルに逃げたりするが、まあ、NHKのEテレくらいですめば運がいいほうだ。このEテレと言う呼び方自体が好きでないが、教育テレビと呼ばなくなったから仕方ない。呼称を変えたせいではないだろうが、吉本の喜劇役者や漫才師がやたら出てきてうっとうしくて仕方ない。そんな中で、土曜日の昼にやっている番組を時々緊急避難的に見ることがある。心の時代と言う番組かもしれないが、宗教についてよく話している。聴き手は毎回同じ人だがゲストは違う。遅い昼食と何故か時間が合うことが多く、意外と観ている事になる。
 先週のその番組の中で「会者定離」と言う言葉を初めて聞いた。お釈迦様の弟子と、亡くなる前のお釈迦様の話の内容だったが、必ず別れと言うものはあるのだからいたずらに悲しむでないと諭した逸話だった。その時に使われたこの言葉が忘れられなくて、後でインターネットで調べてみたらちゃんと載っていた。僕が知らなかっただけなのだが、仏教では魅力的で綺麗な言葉がしばしば登場する。同じ漢字圏の人間にはよく伝わってくる。
 半年ごとのかの国の女性たちとの別れ、母との別れ、1年半くらい同居したかの国の2人の女性、そして何となくもうすぐ別れがやってくるかもしれないと思わされ始めたモコとの別れ。どれもどれも悲しくて切ないものだが僕は耐えている。あの言葉は知らなかったが、実感としていつも考えていることだから。宗教とは答えの無い疑問に答えるものなのかもしれない。、

居場所

 2週間前に雲辺寺のスキー場を訪ねた時は、山頂の気温はマイナス7度だった。今日は3度だったから丁度10度高かったことになる。この10度は南の国から来た女性たちには都合が良いらしく、前回の女性たちが2時間でスキーに見切りをつけたのに対して、今日の女性たちはほぼその倍くらいを雪の上で過ごした。もっとも、スポーツなどとは縁のない生活をしてきているので、スキーなど出来るわけないし、上達欲も無い。スキーをほんの少し経験すること、そしてそれらしい写真を公開することが彼女達の目的だ。だからスキー場に着き、スキー服に着替えゲレンデに立った時から写真のとりまくりだ。おかげで待ち時間のために勉強道具を持っていっていたのに、写真係になってしまった。しかしそれではあまりにも空しいので1時間くらいでその係りは辞退して、勉強しようとした。ところがその段になって、山麓駅においてきた車の中に読もうとしていた薬の本を忘れてきたことに気がついた。2200円のロープーウェイ代を再び出して本を取りに帰るのももったいないような気がして、前回雪のために足を踏み入れることが出来なかった雲辺寺にお参りしようと考えた。スキー客に混じってお遍路姿の人たちが結構乗り込んでくるのを見ていたから、有名なお寺なのだろうと想像したのだ。
 確かに立派なお寺だった。規模も大きくて、京都などのお寺に引けを取らないのではと思った。おまけに1100メートルを越える頂の上に建っているのだから、それだけでも荘厳だ。言葉を知らないから的外れかもしれないが「山岳信仰」などと言うのもありかと思った。ロープーウェイで7分で山頂まで上れるが、昔の修験者が歩いて上るとなるとどのくらい時間がかかるだろう。
 雲辺寺で珍しかったのは羅漢様の(本当はこの言葉も知らなかった。仏を守る聖人らしい)石像がとても沢山並べられていたことだ。100体ではきかないと思う。そしてそのすべてが力作(失礼な言い方だがそうしか言えない)なのだ。かの国の女性達がスキーを早々に諦め雪と延々と戯れだしてくれたおかげで、静寂が支配し、俗世間とは完全に遮断された空間をしばし堪能した。
 幼子から若者まで、おしゃれなファッションで賑わうゲレンデからわずかしか離れていないのに、すべてが対照的だった。良し悪しは別として、僕の居場所はゲレンデにはなく、まっすぐに天に向かって伸びる杉の巨木に囲まれた鳥も啼かない無音の世界だった。

 

意味

 車で1時間くらいかけて訪ねて来てくれる若いお母さん。来れば色々な話をする。もう敷居は無いから向こうも僕も自由に話をする。そういった自然な会話が処方を自ずと誘導してくれるから、改まる必要は無い。
 何の話からか、現代の歯の治療に話題が飛んだ。彼女自身も驚いていたが、僕などもっと驚いたことがある。それは彼女の友人がかかっている歯医者さんでは、歯を1時間かかって作ってくれるというのだ。この表現は正しくないな。もっと感謝の気持ちが出なければならない。1時間あれば型を取って歯が出来上がるのだそうだ。口の中を機械が回ればピッタリ合う歯ができるのだそうだ。その表現から僕は3Dではないのと珍しく機械のことで知ったかぶりをした。最も苦手としている分野なのに珍しく単語がすんなりと口から出てきた。すると彼女もそうかもしれないというようなことを言っていたが、確信は持てないらしい。
 教えてくれた友人は「1時間もあれば型(かた)が出来る」と自慢げだったらしいが、僕たちの話を聞いていた岡山市の男性が「ワシらの近所の歯医者の先生は、もっとすごいぞ。1時間で片がつく」
 げに恐ろしや。同じ「カタ」なのにこんなに意味が違う。

西脇

 「西脇に行ってきます」このタイミングでそういわれると牛窓の人なら悪い冗談だと思う。妻もそれに気がついたのか「ああ、配達に」と慌てて付け加えた。
 西脇は峠を越えれば海水浴場や漁港が広がる。牛窓でものんびりとした地区だ。畑も肥えていて、いわば半農半漁の地区だ。牛窓から西脇に行くために越える峠を少しだけ逸れたところに火葬場がある。この辺りでは「焼き場」とも言う。そしてこの辺りしか通用しない言葉として「西脇」がある。いわばこの辺りでは西脇は火葬場のことを表す隠語なのだ。だから会話の中にも結構出てきて、医師も使うことがある。よく使う医師の口癖が「西脇に行かんと治らん」だ。逆に患者さんも自虐的に使うこともある。「西脇に行かんと治らんわ」と。病気だけでなく、人の悪い性格等も「あの人のくせは西脇に行かんと直らん」などと言ったりする。要は手に負えないときの最後の手段なのだ。それも一番歓迎できない方法だ。
 妻がそう言って出かけようとした寸前まで、実は最近亡くなった方の話を漢方薬を取りに来た人と話していたのだ。亡くなった理由や様子などを結構長い時間話していた。何となく以前と違ってそういった話題にも力が入るようになっていた。参加資格を得たような感じだ。絶妙のタイミングで出た妻の言葉に座布団でも上げたい気分だが、現実味を増してきた存在感にハッとする。