看板

 無口な男性は、如何にも職人らしく人間が苦手なのだろう、目を合わせずに横向きのまま僕と話をする。時にこちらを向くのはやはり、相手を確認しなければ落ち着かない最低限の動物的反応なのかもしれない。彼は年に一度牛窓に呼ばれ、いわゆる大店と言われたお家の庭の剪定をする。  草1本生える余地のない全面コンクリート敷きの我が家からすると夢みたいな広大な庭を持っているお家で年に数日だけ仕事をするらしく、そのたびに薬局に立ち寄る。いつ来ても黙ってドリンク剤を飲んでいくだけなのだが、今日は何故か口が軽かった。それには理由があって、彼みたいなたたき上げの職人ではなく、大手の「看板をあげている」業者がエンジン付きのバリカンで簡単に頭をそろえて、ハイお終いにしているのが気に入らないらしい。茶摘みの機械みたいなものだろうか僕は想像がつかないが、簡単にスピーディーに出来るらしい。勿論見た目は綺麗だが、節の上だけしか切れないからすぐ延びて縦にも横にも膨張して延び、巨大な生け垣みたいになるらしい。素人相手にもっと専門的に説明してくれて、刈った葉が重なって空が見えないと言っていた。彼は、その節の下を切るらしい。そうすると1年前の状態に遡ることが出来るらしいのだが、まるで林で木を間引くような作業は手でやるしかないらしいのだ。そうすると葉が重ならなくて綺麗なまま成長すると自信満々に言うが、何となく素人にもその価値は伝わってくる。ところが最近は、何処の大店も若干不景気らしくて、「看板をあげている」所の後始末をさせられることが多いと嘆いていた。節約志向の末、大切な木々を枯らすことが多いのだそうだ。職人のプライドを僕に見せても、チューリップ一本咲かせることが出来ない僕の家では、相づちより一歩も踏み出せない。  何度と無く繰り替えされた「看板をあげている」に何となく共感するのは、恐らく僕の職業だけではないだろう。色々な業種で、昔ながらの丁稚からたたき上げるようなことが無くなり、人海戦術、あるいは機械にものを言わせたうむも言わさぬ攻勢に晒されている多くの職業人に共通した想いかもしれない。無口の雄弁に妙に打つ相づちが多い。  何年分も話したのに、それも次の相談者が腰掛けて待っているのに、話が終わる気配がない。少し僕は次の人が気になっていたのだが、予期せぬ雄弁に水を差すことを躊躇っていた。すると助け船を出してくれたのが、最近めっきり増えた音もせず飛び、一瞬のうちに血を吸う黒い蚊だ。その蚊が男性の頬に止まった。喋りに夢中の男性は気付きもしない。これで頬が痒くなって帰るだろうと、僕は見て見ぬ振りをして蚊の食欲に期待していた。しばらく気がつかなかったからかなり吸われただろう。そのうち蚊を振り払ったから、いつ痒がるかと思っていたがなかなか痒がらない。これは大変だ、エンドレスだと諦めかけていたとき、もう一組の相談者が入ってきた。さすがに男性は気配を感じてくれたのか、名残惜しそうに出ていった。  僕は相談机で10分以上待っていてくれた若い男性にお詫びを言って、1週間の彼の経過を聞き始めた。すると一変にほっぺたが痒くなり盛り上がってき。やられた、蚊は1匹ではなかったのだ。