旋回

 この世界も農業と同じで高齢化が進んでいるから、40歳を十分回った彼でさえ若手だ。何となくくつろいだ様子だったから日曜日はどうするのと尋ねたら、「久しぶりに釣りにでも行ってのんびりするわ」って答えた。久しぶりに釣りに行くと言っても彼は漁師だから、毎日海に出て魚を獲っているはずだ。聞き違えたような気がしたから、「釣りに行くって、毎日行っているではないの」と尋ねると、仕事と遊びでは同じ釣りでも違うらしいのだ。禅問答みたいな答えだが、これは何か示唆を含んだ答えなのか、それとも単純な釣りキチか。僕は彼を中学生の頃から知っているから、明らかに後者と断言できる。釣り以外にすることはないのかと言っても、何もないらしい。牛窓の漁業協同組合も彼みたいな人材がもっと欲しいだろう。漁師の鏡みたいな人だ。 さしずめ彼の傾向は他の職業ではどの様な行動パターンにあたるのだろう。ジャンボの機長がセスナに乗る。タンカーの船長が櫓を漕ぐ。外科医がカエルの解剖をする。学校の先生が塾で教える、石川遼君がグランドゴルフをする、中島みゆきがNHKの素人のど自慢に出る。  趣味と職業が一致している運のいい彼だが、なかなかそんな人はいない。多くの人は食うために働いている、自分の希望はずいぶんと後回しにして。正規の仕事がない不安定な中で懸命に倫理を崩さずに働いている。いっそのこと破壊的に生きていこうかと堰を切る感情に抵抗する高度な倫理を保ちながら。車窓からすれ違う景色もどこか愁いを秘めていて、喜びに沸く息吹に遭遇することはない。あの悲しげな高揚した倫理はいったい何なのか。墜落を免れた紙飛行機が尾根伝いに消えていく。墜ちることの許されない紙飛行機は息も絶え絶えにけなげな旋回を繰り返す。