一理

 経済にかなり疎い僕が言うのはほとんど意味がないかも知れないが、ひょっとしたら「それも一理」くらいの的の射ようはあるかも。  体や心に障害を持っている人達に対する公の補助が次第に減額されている。今まで受けられていたサービスを断念したり、回数を減らしたりしてやりくりしているらしい。僕らは偶然障害を持っていないだけで、いつ誰が何処で障害を持つようになるかもしれない。その時に、公の経済的な援助は必要不可欠だ。勿論介護の援助も必要だが、生活を楽しむだけの余裕を含めた経済的な援助も不可欠だ。それが、生きていくだけでぎりぎりの援助しかないとしたら、失った健康と一緒に人生の全てを失うことになる。こんなに豊かな国に、それが出来ない経済的な余裕がないはずがない。その人達に回す気持ちがないだけだ。オエライ方々の家族や親類にはそんな人がいないのか少ないのか知らないが、どうも援助を削ることしか考えていない。不必要なものは一杯作り、大きなところが倒れそうになると目一杯税金で援助するのに、ハンディーを持っている人には冷酷だ。国もマスコミも学者達もこぞって不景気を嘆くが、大もうけしていた奴らが、中儲けになるだけだ。不景気ってそんない悪いものなのだろうか。同じ物を複数持ち、気に入らなければすぐ捨て、買い換え、食べきれないほどの食事を旅先でし、子供を塾にまで行かせ受験戦士にする。考えてみれば不必要な物ばかりだ。この国は、いや先進国と言われている国は、無駄な物を作り続けることで作られた偽りの豊かさだ。狭い部屋に一杯詰め込んだ物達で窒息しなかったのが不思議なくらいだ。  今は、正常な感覚を呼び戻すいい機会だ。こうして警告されないと人はどんどん物欲を刺激され、心を失ってしまう。消費を喚起するとかなんとかこじつけて、選挙目当てで金をばらまいてくれるらしいが、それをハンディーがある人達に回してと言える普通の感覚は未だこの国の人達の多くが持っている。テレビも低級な番組を乱造せずに、少しはまともなことを言えと思うが、決してハンディーのある人達の味方ではないから、自滅するのを待つしかないか。大多数の人達の善意が大切にされる社会を希望してやまない。