駐輪場

 風もなく晴れ上がった冬は気温を容赦なく下げる。校舎の3階から眺める海の景色を真正面の高層マンションが丁度二分している。校舎のベランダに立つと手先と足先がかじかむ。太陽の光だけは春を先取りしているが、教室で真剣に黒板に向かっている生徒達には届かない。戦後この町を引っ張ってきた大きな工場の跡地はさらされたまま無気力に横たわっている。無造作に囲われたエリアは草一つ生えていない。多くの労働者の命を産み、命を看取ったコンクリートの床が墓標のように残されている。  「同じ瀬戸内市の学校でもここの生徒は違いますね」養護教諭の言った言葉は実感に裏付けされている。駅に近い学校と離れている学校という表現を彼女は使った。その視点は僕には思いつかなかった。駅に近い学校、いわゆる荒れている学校を経験している彼女には、駅から遠く離れた、不便という言葉が似合う海辺の町の生徒の純朴さには驚いたようだ。きっといい驚きなのだ。僕は学校保健委員会で30年ずっと言い続けてきた。この町で子供を育てることのなんて簡単なことかを。放っておいても子供はとても純朴に育つ。卒業して都会に出ると、牛窓の子は免疫を持っていないから危ないと言った医師もいたが、僕はそうは思わない。汚れなき時代が多いことが何のハンディーになろう。よい人に囲まれて育つことが何のハンディーになるだろう。田舎だからと言って決して過度に他人の視線に晒されることもない。濃密すぎる人間関係でもないのだ。僕に言わせれば程良い田舎が彼らを程良く純朴に育てていると思う。何も派手さはないけれど、他者を傷つけることを本能的に忌避できる最低限の礼儀を身につけている。世の称賛を浴びるような人物は出ないかもしれないが、どこかで誰かを優しく見守れるような人物が、漁船の上で網を引き、田圃の畔でしりもちをつく。駐輪場のヘルメットに春よ来い。