完結

 30年も現場にいれば、薬がどのくらい効いてくれるかはだいたいが想像つく。薬局は何でも科だから雑病を基本的にはお相手するのだが、こちらの頭も雑だから丁度バランスがとれているのだろう。 ところが時に実力を越える相談が舞い込む。この場合は、必然的に薬の効く確率がどっと下がる。救いを求めてきている方に確率が低いと言うだけで断るわけには行かないが、限りなくゼロに近い場合は仕方なく断る。確率がまだ少しでもあるものは挑戦することになるが、決してそれは希望に溢れる仕事ではない。それでも苦しみから解放してあげることが出来たら、互いが幸せだから思案を重ねる。そんな時はそれこそ祈る気持ちで薬を作ったり選択したりする。丸投げの神頼みではなく自分が培った全知識を費やして懸命に考え、その結果だけを神頼みする。 今まさに祈る気持ちで結果を待っている人が日本中で溢れている。本人は勿論、両親、おじちゃんおばあちゃんまでが、子や孫の朗報を待っている。僕も薬が縁で数人の朗報を待っていて、もうすでに1人朗報を手にした子がいるが、全員後に続いて欲しい。勉強が出来る環境を与えられ、進学することを許される経済的な裏付けがあり、後は努力した結果が証書で与えられれば彼らの青春前期が完結する。思えば人間は、20年もかけて学ぶ悠長な動物だが、そのことがもっとも人間らしい行為なのかもしれない。学んだものを生かす期間が、それの何倍も保証されていないにもかかわらず、根気強く学び続けることが出来るものだ。もうすぐ首から上を鍛えた青年達の勝利の声が完結を告げる。制度からの解放を勝ち取るその瞬間に青春前期が完結する。縁の出来た青年達が誰一人未完のままで本を閉じて欲しくない。みんな素晴らしい個性的な作品を20年近くかけて書きつづって来たのだから。