ベース

 カーラジオからながれる歌は聴いたことがあった。タイトルは分からないが、黒人の男性コーラスグループの唄で、何かの映画の挿入歌として聞いたことがある。けだるい朝の身体に心地よく聞こえたのは、ベースの響きによる。お腹に、舗装道路を通して聞く地球の鼓動のように響いた。どっしりとした音は、命の音だ。軽々しくないから、意識を越えたところで空気を揺らす。耳をすませば形を表し、心を澄ませば形が消える。  最近、居心地が悪いのは社会からベースが消えているからだろうか。軽率な高音は洪水のように溢れて、右脳の細胞を一つずつ破壊していく。社会を支えている人達が、社会を左右する人達に潰されていく。決して華々しくはないけれど、決して饒舌ではないけれど、けっしてスピーディーではないけれど、決して生産的ではないけれど、それでも水も空気も守っている。失ってはいけない人の情も守っている。そんな細胞が潰されている。忘れられ、無視され、捨てられて身の回りから自然の鼓動が消えていく。ベースでしか表現されないものが消えていく。 何時までもその曲を聴いていたいと思った。拍動に共鳴する音の中に今日を沈めていたいと思った。ヘ音記号のアクセルを踏む。