無難

 同じようなことをしているものだと可笑しくなった。  病院で、声をかけられたが誰だか思い出せなかったから、とりあえず「その後、調子ははどうですか」と、無難な答えを返したらしい。しかし、その後いくら考えても思い出せなかったそうだ。それはそうだ、患者さんではなかったのだから。  ほんの数ヶ月前に、出席した結婚式の主人公だったのに、思い出せなかったらしい。親類になった男性だから、大切にしなければならないのに、良く覚えていなかったのか。それとも僕に似て、そもそも儀式が余り好きではないのか。冠婚葬祭が商売のネタに露骨にされるようになってからますます儀式が苦手になった。見え見えの演出には嫌悪感しか残らない。感激の涙なんて意地でも流さない。いやいや、意地もいらない。感動のかけらもないのだから、涙腺は固く閉じられたままだ。  僕は極端に名前を覚えるのが苦手だ。さすがに見た顔ってくらいは分かるが、名前はまず無理だ。何回もお会いすればどうにか覚えれるが、まず片手では無理だ。最近は、お名前何でしたっけと正直に尋ねるようにしている。来て下さる人にとっては、僕一人だが、僕にとってはかなりの人数の中の一人なのだ。その点は無礼ではないように考慮していただけるものと居直った。こんな時は年齢を理由に出来るから若いときより楽だ。  息子はまだ若いから、それなりの演技をしているのだろう。誰もが通る道を通って成長していくのだろう。時々入ってくる噂ぐらいしか情報はないが、人様の役に立てていればいい。親は子の為に生きるが、子は親のために生きるのではないから。