路線

 総社にコンサートで行くと必ず立ち寄るうどん屋さんがある。うどん屋さんと言っても色々などんぶりものや寿司などもあるから何屋さんか分からない。僕がうどん好きだからやたらうどんが目に付くだけで、ひょっとしたら店名にうどんはついていなかったような気もする。  お店の紹介ではないからこのテーマはさておいて、今日の昼頃そのお店が目の前に突然現れたときは少しばかりほっとした。と言うより嬉しかった。全く未知の領域だったのに視界が一瞬にして開けた。  3ヶ月と期間を区切られた6人のかの国の女性と、今まで一度も第九を聴いた事がない来日1年目の5人を連れて総社の市民会館に行った。11人も連れて行くのだから電車しかない。ところが県の西のほうは全く未知で、どういった電車に乗るべきか全く分からない。そこでインターネットで調べメモをポケットに忍ばせていた。  総社に行く前に倉敷、特に大原美術館に連れて行ってあげた。恐らく国に帰れば生涯見ることがない超有名な絵を見せてあげたかったのだ。個性によるが熱心に時間をかけてみる人と素通りの人に分かれる。その後倉敷から総社に向かうのだが、路線の案内図を見ていて何か違和感を感じた。インターネットだと東総社で降りれば一番近いのだが、総社と東総社の路線の色が違うのだ。隣の駅なのに違う色の路線図だ。何となく心配になって駅員に尋ねると、伯備線は総社を通って新見のほうに行くそうだ。東総社に行こうとすると、総社駅で降りて「桃太郎線?」と言う聞いた事もない路線に乗り換えないといけないらしい。15分くらいの接続らしいが、コンサートの開始時間に余裕はない。そこで総社で降りて市民会館まで歩くことにした。足の遅いかの国の女性たちだから時間を食うのは承知の上で予定を立てなければならない。総社駅で降りれば入場までの時間は20分だった。インターネットで調べたら丁度20分だからぎりぎり間に合うことになる。だから駅を出てから結構急ぎ足で歩いたのだが、一人の女性が途中で道路の反対側を示して「うどん、うどんと」大きな声を上げた。見ると3週間前に和太鼓を聴きに来た時に皆で食べに入った例のお店だ。未知の道路がその瞬間通り慣れた道路になった。その時から気持ちに余裕が出来て、歩みを遅くしても十分入場には間に合った。  それにしても、総社の次の駅に行くのに、聞いた事もないとってつけたような路線に乗らなければならないとは驚いた。南から北に上がる電車には滅多に乗る機会はないが、車窓の景色よりも、辿り着くだけでも難しいような路線のほうが寄り興味を引いた。

空白期

 災い転じて福となすほどでもないが、良い経験をさせてもらった。いや、良いものを見せてもらった。  何となく道路の両側がおかしいと思った。最初は交差点に、警察官やガードマンが立っていただけなのだが、そのうち高校生らしき若者達が防寒着を着て集団で立っていたり、ゼッケンを付けた大人たちがなにやら気ぜわしく動き始めていた。そして極め付けはテレビカメラと思しきものを抱えた人たちが同じ方向を向いて何かを待ち構えていた。そしてついに、僕の車は止められた。  そのあたりで何かのイベントに出くわしたのだと分かった。ただそれが何かとは分からなかった。ただその後すぐに何故車を止められたか分かった。一人の黒人女性が走ってきたのだ。勿論ユニフォームを来て。そこでマラソン大会か駅伝大会に遭遇したことを悟った。彼女に遅れる事数十メートルで日本人が数人やってきた。実際にマラソンや駅伝を走っている人を間近に見たことがなかったので、興味深かった。女性といいながら、僕なら5メートルも並走出来ないような速さで走り抜けていく。アスファルトを叩く靴の音が印象的だった。その音は僕らが走るときと意外と同じだった。もっと軽やかな音がするのかと勝手にイメージしていたが、ペチャペチャと言う音がした。  そのうちゆっくりと車を進めることが出来たが、結構長い距離、長い時間対向車線を多くのランナーがやって来た。妻が2回ほど同じことを言った。「これって、用意ドンでしょ!」「これって、一緒にスタートしているんでしょ?」と。何となくその疑問が僕にも分かった。最初に走り抜けた黒人ランナーから一体どのくらい遅れているのだろうと考えてしまう。妻は「同じ所を何回も回っているんではないの?」とランナーが聞いたら怒りそうな感想を言っていた。さすがにそれはないだろうと思うが、そう想像するほど差がついていた。僕らの車の傍を駆け抜けたのは出発してからどのくらいの距離なのかは知らないが、結構差が出るものだと思った。  何が面白くて道路に出てランナーを応援するのだろうとテレビを見ながら思っていたものだが、一人ひとりの表情を熱心に見ている自分がいた。さすが鍛えている人たちばかりと見えて苦しい顔をして走る人は滅多にいない。走ることは楽しいのだろう。車ですれ違う格好でしか見ることが出来なかったが、目の前を通る選手の息遣いが聞こえるような位置で応援もいいだろうなと想像した。  全くの偶然から珍しいものを見せてもらったが、僕にもあのようなことが出来る時代があったのだと一瞬脳裡に浮かんだ。それにしても見事に何もなしえなかった。凡人にとって青春期は意外と空白期だったりして。

解決

 こんなに沢山薬を飲んで大丈夫かと思うが、こんなに沢山飲んでいるから長生きしていると思う人も多い。僕が牛窓に帰り薬局を手伝い始めた頃ならとうに亡くなっていると思われるような病気の人が最近は軒並み生きている。それも結構日常生活を送りながら。血栓のトラブルや糖尿の薬などは何十年のスパンで見ると恐らく劇的に変化している。ただそれが当事者にとってはゆっくりとしか見えないから、その恩恵に気がつかないが、傍から流れを眺めることが出来る立場の薬剤師ならよく分かる。  今日ある相談に来た男性もその恩恵にあずかっている人のうちの1人だ。大きなビニール袋に入れて病院の薬を持って帰ってもらっているが、まだ自力で何とかしようと言う意欲も失っていない。骨粗しょう症で筋力が衰え、30cmくらいの歩幅でしか歩けないが、我が家の漢方薬などで結構進行を食い止めている。それで信頼を得て時々相談を受けるが、今日の相談は不眠だった。毎晩寝付くまで2時間くらいかかるから、何とか漢方薬で眠るようにして欲しいというのだ。さすがにもう病院の薬は増やしたくないのだろう。まして睡眠薬には抵抗があるみたいだ。そこでどの程度の不眠症か確かめてみた。入眠に2時間かかるのは分かったが、その後はどうかと言うと、朝までぐっすり眠れるのだそうだ。下手をすると朝の10時頃まで寝てしまうこともあるらしい。そう説明を受けると当然次のような疑問が浮かぶ。「一体何時に床についているの?」答えは夜の9時らしい。と言うことは2時間後に寝付くのだから11時?と言うことは11時間寝ているの?僕がまだ仕事の後片付けをしている頃床について2時間寝付けない?「11時まで、起きとけ!」解決。

蓄え

 さっきまでと打って変わった表情が一瞬現れた。それを僕は見てしまったから「自分、何かあったな!」と詰問調に尋ねた。するとこれまた一瞬の内に目を充血させ涙を溢れさせた。彼女に何かあるとしたらお父さんが亡くなることしかない。数ヶ月前に相談を受けたのだが、そのあまりにも病気の多さ深刻さに、医者でもない僕が帰国を勧めたほどだ。ところが契約によって、見舞いの為では帰れない。だから心配するだけの歯がゆさの中で暮らしていた。色々な病気を抱えていて、それらのための薬を頼まれたが、日本だったら当然入院しているはずの病人に出せれる薬はない。彼女と相談の結果、命がある間少しでも楽に暮らすことが出来るようにする漢方薬を送った。傍にいてあげることができない娘のせめてもの親孝行なのだ。  その甲斐があったのかどうかわからないが「お父さんのお母さんと同じ。眠る様にして亡くなった」と言った。そして亡くなる数日前に電話で話が出来たらしいのだが、お父さんが異国で頑張る娘に「仕事は上手くならなくてもいいから、友達と仲良くしなさい」と言ったらしい。彼女は通訳として来日しているが、そして日本語能力試験の1級も恐らく合格するが、そんなところは微塵も見せず、学歴のない同僚21人をまとめている。まとめるというより打ち解けていると言ったほうがいいかもしれない。  この娘にして何故アル中の父がとそのギャップに驚かされたが、本当は彼女と同じように繊細で賢明な人だったのかもしれない。酒への逃避行は繊細さゆえの行動だったのかもしれない。彼女の話を聞いてそう思った。母が亡くなったときに「お父さんは全然悲しくないよ。オバアチャンが生きているときに一杯尽くしたから」と僕が言ったのを覚えていて、「私もオトウサンと一緒、一杯父にしてあげたから・・・大丈夫」とけなげに答えて笑顔も見せた。  かの国の家族の絆の強さと愛情の強さにはしばしば驚かされるが、それは家族の間だけではない。その夜寮に見送りにいったときに、僕と彼女が話をしているのを取り囲んでいたかの国の女性たちの多くが涙を流し、また懸命にこらえていた。働けど働けど自国では貯金が出来ない国から来た若い女性たちは、心の中に既に大きな蓄えを持っている。

上等

 今日、ポリープの病理検査の結果を聞きに行った。何となく最近たて続けに好ましくないことばかり起こっているので、今日も敢えていい結果だけを望むような心境ではなかった。どんな結果でも受け入れるつもりだった。毎日長時間働けているのだから僕は病気ではない。ただ昨日もその単語を使ったが、老化が着実に進行しているから、病気ではなく老化と考えればそんなにつらくないことを悟った。  結果はやはり老化の極みで正常でもないが癌でもない、丁度中間あたりの判断だった。もし今年薬剤師会が毎年行っている郵送による便潜血検査で出血を指摘されていなかったら、僕は決して病院には行かなかっただろう。それと何が僕をそうさせたのか分からないが、当日便を取るときに肛門が痛くなるくらいいきんだ。偶然その日に限って便が硬くなった。これは出血したなと思ったが、そしてこのまま送れば引っかかるなと思ったが、何故か面倒でその便を送った。2日目の検査では出血していなかったから、恐らくあの時肛門が切れたのだろう。あの時肛門が癒えるのを待って後日便を送っていたらきっと出血は認められなくて内視鏡検査をすることは無かっただろう。専門医に言わせれば何の意味もない郵便検診も、人を病院に向かわせるにはとても大きな意味を持つ。正に僕はそれによって、癌になるのをひとまず防いでもらえたのだから。ただし、きっと来年も再来年も、今年と同じ光景を繰り返すだろう。それももっと深刻に。何故ならあのいやらしい老化は着実に進行するのだから。  ただ今回の検査で見つけてくれた好ましからざる老化はこれだけではない。まだまだ対峙しなければならないものがある。正月明けまで待ってまたまた検査するらしい。その検査の機械が段々上等なものになっていく。病院も段々大きくなる。まるで通行人のようにそれらを眺めている自分がいる。

老化

 ・・・・でも最近、自分が年を取っていくことへの不安のようなものを感じることもあるので、その延長 かもしれません。・・・ 〇〇

 今朝病院で身長を測ったら、2cm縮んでいました。すごいですね、老化は着実に進行しています。最早止めようがありません。静かに受け入れなければなりません。それはそうでしょう、見える老化は随分前から進んでいたのに、見えない老化を受け入れたくなくて見なかっただけです。毎朝鏡を見れば疑いようなく、そこには初老の自分が写っています。歯も髪も抜け、皺が増え、しみも一杯あります。まるで老犬のようです。若さをうかがわせるものなど何も残っていません。歳相応に醜くなっています。  おまけに一番目をつむっていたかった内臓は、かなり傷んでいるみたいで、ずっと10年くらいかかりきりになっていた、骨格系のトラブルにばかり目が行って、内臓に関しては根拠のない自信と、検査の不快さから無関心を装っていました。今回やっと重い腰を上げて内視鏡検査をしてもらったのですが、想像通りの劣化でもう諦めの境地です。僕のカレンダーに病院通いの日が埋まっています。  人生でおよそ経験したことがないような日々をこの1週間送ってきました。天寿を全うした母と同時進行でした。ただ、僕は病院の検査を重ねることで母のような長寿人生を望んでいるのではないのです。内臓は強くても喜怒哀楽をなくした人の生き様を数年間傍でつぶさに見てきました。何となく検査をしたら劣化が進行していたというだけです。  長生きしたら僕は何を得るのだろう、長生きしなければ僕は何を失うのだろう、この1週間そんな疑問が頭をよぎり続けています。そして今のところ、特別得る物も失う物もないというところで落ち着いているのです。

ヤマト薬局

神庭の滝

 女性が大きな声を出して感動する様子を雄叫びと表現して正しいのかどうか知らない。しかしそれはまさしく雄叫びだった。僕自身も予想していなかったから何の演出もしないで、その光景の中に飛び込んだ時のこと。  昨日久世町の第九のコンサートには4人のかの国の女性を連れて行った。2人は1年前に来日。1人は来日して3ヶ月目で3年間日本で働く。後の1人は来日して1ヵ月半で、あと1ヶ月で帰国する短期の応援部隊だ。誰もまだ第九を聴いていないから僕の出席簿で選ばれた人たちだ。  第九だけでは片道2時間の行程がもったいないので秘かに神庭の滝に行くことは計画していた。勿論彼女達には内緒で。気温は低かったが結構日差しも強くて、高速道路の雪のための速度制限がピンと来なかった。ただ、僕は北国を走ったことがなかったので、正直恐る恐る北進した。ところが対向車線からやって来る車で雪をかぶっているものはない。それと前方に見える中国山脈の山々も雪をかぶっていない。だから結局は高速道路で勝山まで行った。  主要道から神庭の滝に通じる細い道に入ったときも雪はほとんどなかった。ところが入り口から数百メートル辺りで一瞬にして雪景色に変わった。雄たけびが聞こえたのはその時だ。切り立った山の中に滝があるから、前夜降った雪がそのまま残っていたのだろう。木々が見事に雪の花を咲かせていた。もうそこまで入り口が見える辺りまで車で登ったが、降りて確かめてみると道路が凍っていた。空き地を見つけて駐車したが、彼女達は早速雪のボールを作って遊び始めた。人生で初めての雪なのだ。それも県南の牛窓では運がよくてもぱらぱらと降る雪くらいしか経験できないから、雪国の様な光景に歓声を上げるのも当然だ。岐阜に5年間住んでいたこの僕でさえ綺麗だなあと思った。神庭の滝は夏に行った事があるが、断然冬の、それも雪景色がいい。何倍も美しい。おまけに雪のじゅうたんの上を餌を求めて集まってくるサル達の自然な行動もよかった。目を見ないでと注意されていたが、それさえ守ればあたかもすみ分けている動物同士のような感覚になった。  一体どのくらい沢山写真を撮ったのだろう。予定時間を大きく超えてコンサートに遅れそうだった。国に帰ったら自慢するそうだ。ちょっとした演出だったのだが、天の神様が手を貸してくださった。