おこぼれ

 長い間いい目をし続けた人達も、置き去りにされるようになった。いい目が一部の人達に限られるようになり、おこぼれが回ってこなくなった。もともといい目をしてこなかった人達もそれなりに何とかおこぼれの片鱗みたいなものが回ってきていたから、無関心でニヒルを気取っていれば良かったが、そのニヒルが自分の首を絞めた。その首の絞め方が段々強くなり、息苦しくなり始めた。そこでやっと気がついた。もうこれ以上絞めないでと。自分の回りに実例が続々と現れるようになった。他人事ではなくなったのだ。自分より下がいると思って何とか慰めていたものが、自分より下がそんなにいないことに気がついて慌てたのだ。いつの間にか自分がその下に吸収されていることに気がついたのだ。財布の中を攻められてやっと気がついた。財布以外に多くの価値あるものや尊厳を奪われているのにそれには気がつかない。痛みを伴わないものには鈍感だ。  おこぼれに預かれなくなった人達がほんの少し抵抗した。価値観が変わったわけではない。財布の中が寂しくなっただけなのだ。信仰を口にして銃で撃たれ、正義を口にして幽閉され、1日100円以下で暮らしている人達の苦しみはやはり分からないままなのだ。必要のないものまでを遠くまで買いに行ける、まだそのような余力はあるのだ。余力が残っている分、開きかけた目は又閉じる可能性を持っている。何が得か、何が損か、そのレベルでの判断なのだ。ちょっとおこぼれが増えれば又容易に魂を売るのだ。  流れる川に身を委ねて筏の上で眠れる日はもう来ない。