笑い声

 電気マッサ-ジ機に気持ちよく寝転がって、僕は籐で出来た衝立越しに彼女と話していた。急に訪ねてくると言われ何の準備もしなかったが、それはいつものことだ。多くの過敏性腸症候群の人に会ったが、その中でも彼女は特別明るかった。何でこんなに明るくて良く笑う子がと不思議だった。特に衝立越しに聞こえてくる彼女の笑い声は天下一品だった。こんな言葉はないが、僕の造語で許されるなら「笑い声美人」だ。大きな声で笑うが人一倍大きいわけではない。はじけるように笑うが待ってましたという計算されたものでもない。何時までも笑い続けるほど集中力が散漫なわけでもない。いわば束縛を嫌った笑いとでも言おうか、解放された心が一瞬にして四方に拡散するような笑い方をする。思わず僕は「君はとても気持ちの良い笑い方をするね」と言った。笑い方を誉められても嬉しくはないかも知れないが、衝立のこちらにまで及ぶ心地よさに何となく賛辞を送りたかったのだ。  もう1泊して帰っていくのかと思ったら、夕方急に帰っていった。前島フェリーに乗って夕陽も見たからまあ良いかと思ったが、隣の県だからいつでも来れる。又来ても良いですかと嬉しそうに言ってくれたが、何となく次回来るときには治っていそうな予感がする。期待しすぎだろうか。話すうちに今まで数年の疑問が色々と解決してくれたようだったから。高校時代の苦しみは何だったんだろうとふと漏らした言葉が希望だ。一人で悩んで、インターネットで断片的な知識を拾い、思い込みを激しくし、浮かび上がることのない絶望を抱いて暮らして行くにはあまりにもその笑い声はすがすがしすぎる。一つ一つのトラウマを客観的に分析し潰していけば、何ら恐れることはない。その役を担うのが僕かも知れないし、それを助けるのが僕の漢方薬かもしれない。  笑顔の綺麗な人は沢山いる。でも笑い声に魅了されるような人はちょっと珍しい。彼女にとってはただの笑いだろうが、周りの人を心地よくさせるまか不思議な能力の持ち主だと僕は思う。