直径2メートル、深さ30cmの円形の穴を見つけたら、何の穴かと思うだろう。ただ、これが畑の中にあるのならすぐに猪が掘った穴だと分かる(らしい)。
 今日、農協の職員が自分の畑に掘られた穴について教えてくれた。牛窓の農協に勤めているが、住所は牛窓ではないらしい。しかし、もう恐らく猪が出ない所のほうが少ないのではないか。牛窓でも話にはよく出てくるから、必ずいる。
 それだけの穴を人間に掘ってみろといわれると、後に引く。機械で掘るのならまだしも、手作業では無理だ。猪の力強さには脱帽するが、その穴に雨で水溜りが出来ると、体の掃除をするそうだ。虫でもいてそれをとるのだろうか。その穴の傍に行くととても臭いそうだ。傍どころかけっこいう離れたところでも猪の体臭はきつくて、「臭いですわ~」と実感を込めて言っていた。
 「もう、夜間に畑を見に行こうとはおもわんです」と言っていたが、当然だ。向こうは夜行性だから夜にはめっぽう強い。襲われでもしたらたまらない。ただ好き放題させるのもいやだろう。こうなれば猟師になるに限る。鉄砲の弾でないと太刀打ちできない。猟師も漁師もいる(要る)町

紅葉

 もう何回も訪れているのに、そしてその道案内ももう何回も見ているはずなのに、いまだ足を踏み入れたことはなかった。もっとも、僕が訪れるのは必ず広島で勉強会があるときで、午前中にかの国の女性達を案内して、昼過ぎには広島に戻って漢方の勉強会に出席するのがパターンだったから時間の余裕はない。だから自ずと代表的なところを簡単に回るだけだったが、今回は明らかに、ゆっくりと回ることを前提に訪れた。
 その看板に誘導されたのではなくロープーウェイに乗ろうとしたのだ。ところがロープーウェイに乗るために少し登り勾配の道を上がっていかなければならなかった。ところがその道が綺麗だったのだ、下に小川が流れ、まだ緑だけれどもみじの葉っぱが生い茂っている。これがもう一月後だったらどれだけ綺麗だろうと思わせるほどだ。宮島の紅葉は有名だけれど納得できるような気がした。
 帰国する人たちに思い出を作ってあげるという、勝手に作ったルールだが、それによって得られることは多い。

宮島


 須磨の水族館とあまり入場料が違わないような気がした。言い換えると高いと思った。何故なら規模も違うし、魚の珍しさが圧倒的に違う。同じ瀬戸内海にあるから、近隣の魚を展示していると言われても、牛窓で幼い頃釣り上げていた魚が多い。お金を出してまで見るものではないように思えた。ただ、宮島で集めた客が流れていくからだろうか、客は意外と多かった。行くまでは、インターネットで調べた情報で勝手に「閑散」とした水族館を想像していた。このくらいのものなら田舎でも作ることが出来るのではないかと思ったが、二番煎じはいけない。
 広島に行くならお好み焼きだが、スケジュールの都合で宮島で昼食をとらなければならなかった。僕はあまり古めかしいところは嫌いだから、モダンな建物の「アナゴどんぶり」を食べた。昔ながらを売り物にしている門前町だが、一際垢抜けたカフェがあり、そこもアナゴどんぶりをやっていた。得てして観光地は立地に甘んじて、高くてまずいが、正にその店も高くて普通だった。僕の母が作ってくれていたものの方が数段美味しかった。
 さすがに僕も宮島を何回も訪れて、食傷気味だった。そこで今日はロープーエイに乗ってみた。ところがこのロープーエーは、やたら高い。5人で往復1万円近かったと思う。観光目的だから、財布の紐は緩むが、上がって降りたら1万円は高い。
 来年はなにやら10連休があるらしい。1日遊んだだけでこんなに出費が重なったのに、10日も同じような日が続いたらどうなるのだろう。貧乏人は遊べない。金持ちは人を働かしながら自分は休み、それでもお金は入ってくる。この不公平に耐える人が悲しい。

日常茶飯事

 さすがにこの年齢になると、親類や知人がガンや早期の痴呆になったという情報がよく入ってくる。職業がら、そうした話の内容は日常茶飯事だったはずだが、さすがに自分が当時者となっても不思議ではない歳になったら現実味が全く違うから、話もついつい本気モードになる。
 今日も妻の友人のご主人がその手のものになったと連絡があった。随分前から兆候があったのだが、ついに発症したみたいだ。そんな話をしているときに「ガンと痴呆はどっちがいい?」とまるで直球のように尋ねられた。直球を打ち返すが如く即答で「僕はガンがいい」と答えた。その最たる理由は去年母を看取った経験だ。最後の5年間、虚空を見上げ、話しかけてもほとんど頷くだけで、的外れな言葉でも出てきたら喜んだ。車椅子に乗せて施設から連れ出しても、ただ頷きながらうつろな視線を気まぐれに変えるだけだった。ほとんどの時間をベットに一人寝かされ、定期的にスプーンで食べ物を口に運んでもらい、オムツを替えてもらう。そんな時間が5年間続いた。5年前に人格は亡くなっていた。命はあったが、それで生きると言えるのだろうか。
 ガンは死ねる。僕の漢方の先生の先生は、そう僕の先生に言っていたらしい。多くの患者を診てこられた日本一の漢方医の言葉だから重いし、多くの処方が正しかったように、その残された言葉も大いに的を射て正しいはずだ。苦痛な時間がどのくらいあるか分からないが、今は痛みを止める手段はある。それを駆使してもらえば、恐らく耐えれる範囲に収まるのではないか。
 「もういい、もういい」このところよく浮かんでくる来るフレーズだ。

感情

 僕はかの国の女性達をどこかに連れて行くと、後々のために印象を尋ねることにしている。勿論帰ってから通訳を介してだからタイム差はあるが、時に現場で彼女達を観察しての印象と通訳を介しての感想とは異なることがある。
 今回のフェリーでの高松行きもその一つだったみたいだ。4人連れて行った中の一人が「実は怖かった」と言った。何が怖かったというと「船が古かった」ところらしい。これには正直驚いた。漁船レベルの船を含めて船に乗ったことがないから、これでどうだというくらいの自信があったのだが、船の何処を見てそう思ったのか「こわい」まま1時間船上にいたことになる。4人で写真をとりまくりだったのに、怖かったのだ。もっともかの国の女性はほとんど泳ぐことができないからわからないでもないが、あちこちに露出したさびなどを見ての感想だったのだろうか。
 そして恐らくその考えに止めを刺したのは、高松港で隣に停泊していた豪華客船を見たからだろう。もうほとんどホテルを積んでいるような船だったが、僕でも驚きと羨望の眼で見ていたのだから、彼女達はなおさらだ。無邪気に写真とりまくりの中に秘められた感情に、大いに興味を持った。

 豊洲市場への10月の移転まで、間近に迫った築地市場(東京都中央区)。業者の引っ越し準備も進むが、近隣の店舗や住民らにはある大きな不安がある。「ネズミ問題」だ。築地市場内には、数ははっきりしないが数千匹はネズミが生息していたとみられている。えさが豊富な市場が閉鎖されれば、周辺に逃げ出すかもしれないのだ。

 ムムム!と言うことは今まで築地市場で売られていた魚介類や野菜は、ねずみに触れられていたものなのか。都民はいかにも有難く築地市場のことをもてはやすが、そこに集められたものは鼠と接触する機会が多かったのだ。良くぞ病気を移されなかったものだと思う。新しく出来た豊洲市場とどのくらい離れているのかしらないが、空中を這い、地下を這うことが出来る鼠にとっては、その間を嗅覚頼りで移動することはそんなに難しいことではないのではないか。四方に拡散するとみなしているみたいだが、やはり本能的に餌の豊富なところに移動するだろう。早晩、豊洲市場も鼠の楽園になる。
 地方に住んでいたら、何を市場の移転ぐらいでお祭り騒ぎをしているのかと思ってしまう。アホノミクスの汚れた政治など、もっと伝えることがあるだろうと思ってしまう。

えと

 3ヶ月の実習生でやってきている女性に歳を聞かれたので答えると、国にいるお父さんと同じだという。彼女が父親が蛇年だというので僕もそうだと言うが、僕はうさぎ年だ。彼女は怪訝な顔をして蛇だ蛇だと訴えるが、うさぎだから答えようがない。そこで通訳が日本のえとの数え方を尋ねて来た。ね、うし とら う たつ み までは言えたのだが、そこから先は知らない。行き詰ったところで通訳の質問に救われた。「2番目のうしは日本とは違いますよ。水?水?」と悩んでいたので「水牛か?」と尋ねたら「そうそう」と僕を指差して助け舟を素直に受け入れてくれた。牛と水牛だから同じようなものだと、僕は無関心だったが、彼女にはこだわりはあったようだ。これで終りならよかったのだが、さっきのえとの尻切れを彼女が許すわけがなく「オトウサン みの後は何ですか?」と尋ねてきた。こういったのは最初からのリズムが大切だから、再び「ね」から始めた。リズムに乗って言えば何でもよく出てくるものだ。そこで僕はテンポよく唱え始め、やはり最後まで言い切れた。恐らく頭で覚えるのではなくまるで歌のように覚えればいいのだ。今でもはっきりと唱えることが出来る。「ね うし とら う たつ、み ぱんだ、しろくま らいおん まんとひひ わに かえる」