習慣

 このやり残した感は何だろう。ふとした瞬間に頭をよぎる。
 紅葉と間違えそうな落ち葉の絨毯が、桜並木の土手に広がっている。所々に石の階段が設けられているから遊歩道まで下りれるが、それがなければ、かなり急な坂だから滑り落ちるだろう。遊歩道から県道を見上げると5メートル以上はありそうな気がする。
 雨上がりで周囲に人はいないから、ゆっくりと景色を独占できたのはよいが、どうもその落ち葉たちが気になって仕方なかった。今落ちたばかりの鮮やかな黄色の葉と、もう何日もそのままだろう濃い茶色の葉っぱが混在しているのだが、その下に綺麗に刈られた草たちが、いやひょっとしたら芝かと思われるくらい整えられた下草が息苦しそうだった。
 ここなら熊手で、ここならササの箒でと、きれいにするための方法が自然に頭をよぎった。枯草は水を含んで重いから、まずは箒で新しい落ち葉だけを・・・
毎朝の習慣が全く場違いなところで頭を持ち上げる。
 広大な土地を、それもこれだけ急な斜面を、芝と間違えるほど手入れしているのかと、改めて、税金で事をなせる場合の力を感じた。個人ではとても太刀打ちできない、いくら気持ちと体力があっても。
 結局、懐かしい風景を独り占めしてその場を去ったのだが、あの落ち葉たちのことが妙に頭に浮かぶ。仕方なく始めた草抜き、草刈作業が、感受性を少しだけ育ててくれていることに気づかされた。何でもやっておくべきだ。言い古されてはいるが、出来ればもっと若いうちに。

 

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