志望

はい、どちらも希望してはいませんでした。

そもそも僕は明らかに文系でしたが、5人兄弟の上3人が薬局を継がなかったので、仕方なく継いだのです。

半世紀以上前のことですから、暗黙のプレッシャーです。

高校の時に急遽クラスが理系に変わって結構無理な勉強をしました。

それでも家業を継ぐのは嫌だったので、医学部を受けることで親に妥協してもらいました。

運よく?合格できなかったので、仕方なく翌年薬大に行きましたが、もともと文系なのと薬学へのモチベーションがなかったこととで

怠惰な学生時代を送ってしまいました。当時まだ薬科大学は4年制だったのに5年も行ったのはそういった伏線があったからです。

卒業して音楽の喫茶店でもしたらと勧めてくれた人がいましたが、ネスカフェで十分美味しい僕にそんなこともできるわけないし、

そもそも客としていくのはいいですが、その逆などありえませんでした。

まあ、順当に教授から京都の製薬会社を紹介され、内定をもらった翌日断り、

卒業して岡大の薬剤部に行ったのですが、翌日辞めました。

製薬会社は教授のコネ見え見え、岡大は薬局長の権威主義丸見えで即決しました。

そして職安を訪ねたのですが、もともとやりたい仕事がなかったので、紹介してくれるところに全く興味が持てず、

あの一番逃げ出したかった家業へたどり着いたのです。

しかし根が真面目なのと牛窓の人の人情に助けられ、卒業してから初めて薬の勉強が楽しくなり、おまけに留年の理由になった漢方薬に自分が助けられたこともあり、

漢方薬の力を見直すことが出来て、そこから漢方薬に関しては「頭に入りまくり」状態になり、今に至りました。

貴女の「ヤマトさんは元々病院か薬局のどちらを志望されていましたか?」の質問に即答できない理由はこうなのです。

僕は問いも答えもないその日暮らしを5年間続けたので、「それでも今がこうしてある」と言う答えしか身をもって示すことしかできないのです。

惑うこともなく怠惰な青春を送った挙句がこうなら、それも良しと今は断言できます。

大いなる意思をもってあなたがどちらかを選択しようと、何かに流されてどちらかに行こうと、

人生と言うドラマを作り上げる上では大差ないと思います。人は皆、人の目に触れない自叙伝を書き終えるがごとく生きていくのですから。

今作りましたから今日発送します。

ヤマト薬局

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