錯乱

 数日雨が降っていないから、刈った草を山積みにしていたのを朝から燃やした。昨夜から楽しみにしていた。雨が降れば草抜きが、晴れれば焼却が楽しみ、自然が少し身近になった。
 焼却機が小さいから、どうしても枯れ草がたまる。ドッグランの隅の方に小さな山が常にできている。青々としていた草でも、天気が良ければ数日で茶色になる。上の方はよく乾燥し軽いが、下の方はほとんど堆肥状態だ。熊手で枯草を集めると、濃い茶色の虫が慌てて飛び出して逃げていく。コオロギだ。
 たまに駐車場で見ることはあったが、鳴き声の声ほど目にすることはなく、ひと夏に1匹か2匹見かける程度だった。ところが今朝は、熊手で枯草の山を崩すごとに何匹かのコオロギが飛び出してくる。その光景である記憶が蘇った。なんと60年以上前のことだ。
 僕はまだ小学生になっていないかもしれない。ひょっとしたら幼稚園児、いやいや幼稚園にまだ届かない年齢かもしれない。でもはっきりとその光景が思い出せるのだ。丸で1枚の絵のように。
 当時住んでいた家から2㎞位離れたところに100坪ほどの畑を父が手に入れていた。江戸時代には一番の繁華街だったと言うあたりに薬局があったが、薬局の前の道路は車1台がやっと通れるくらいだ。父が先見の明で移転地として手に入れていたのだろうが、まだそこには建物はなく、祖父母が畑仕事を楽しんでいた。
 思い出した1枚の絵は、祖母の隣にしゃがみこんで懸命にコオロギを取っている僕の姿だ。当時僕は確かにコオロギを懸命にとっていた。その事実を思い出したのだ。そしてそのコオロギ捕りの目的が、当時飼っていた鶏のエサにするためだった。戦後10年以上経っても時代は貧しくて、1羽や2羽鶏を飼っている家は珍しくなかった。コオロギ捕りが幼い孫の仕事だったのだろうか。
 過去のことはあまり思い出さない、興味がない僕だが、珍しい記憶がよみがえったものだ。短い距離を撥ねて逃げる姿が、なんとなく哀れに見えた。相次ぐ有名人の訃報に時計の針が錯乱したのだろうか。

 

れいわ新選組・大石あきこ政策審議会長 【2022/10/02 日曜討論】 - YouTube