認識

 電話を置いた後なんとなく2割と言う言葉が耳に残った。テレビ番組で、お医者さんが「過敏性腸症候群で治る人は2割」と言ったらしい。2割しか治らない病気ってそんなに多くあるわけではない。余程の難病くらいしかないだろう。当然そのことを教えてくれた女性はかなり落ち込んでいた。
 治る=完治としてとらえると確かに僕の漢方薬でもそのくらいかもしれない。ただ、こういうことも言えるのではないかと思ったのだ。それが耳に残ったと言うか、ひっかかっていたものかもしれない。
 僕のような田舎の薬局にわざわざ相談に来てくれる方は、ほとんどの方は病院や薬局を梯子している。結構大きな病院の経験者も多い。そんな方を漢方薬でお世話すると、完治宣言してくれる人が2割くらいいる。治っても報告してくれない人もいるからもう少しは多いと思うが。
となると、1000人悩んでいる人がいて200人は病院で治る。残りの800人がもし僕のところに相談してくれれば、160人が治る。と言うことは360÷1000で3割6分の人が治る。
 お医者さんは、まさか病院以外を患者が選択したり、それも薬局の漢方薬ごときで治るなんて思いもしないから2割と言ってしまうが、実際には3割6分の人が治れるってことだ。まして症状の改善だったら7割くらいは実績があるから、お医者さんのと合わせれば、もっと多くの確率で喜んでいただけるはずだ。
 ちなみに地元の人の完治の確率はかなり高い。と言うのは、最初に僕のところに来てくれる人が多いから、皆さん予備知識など全くない。「お腹が張るばっかりする」「学校に行こうとするとお腹が痛くなる」「おならばっかり出る」「なんかおならが自然に出てしまう」と、まるで風邪の症状を教えてくれるレベルの簡単な表現だ。重症?の自覚などないから気軽に教えてくれる。こちらも気軽に薬を出すから、簡単に効果が出る。緊張で発症する病気を緊張で対処したら、悪化するに決まっている。ちょっとした風邪くらいの認識が一番いい。
 

浜矩子「一部の日本人の無知・無魂・無涙が、五輪開会式の醜聞を生んだ」
経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。
 日本人は本当に賢くて、本当に優しい。何かにつけてそう思う。だが、事あるごとに、日本人は本当に愚かで、本当に優しさに欠けるとも思う。
 東京五輪の開会式が数時間後に始まる。このタイミングで本稿を書いている今、我が日本人観は、完全に「愚かで優しさ欠如」の方に傾いてしまっている。一体、何人の五輪関係者が辞任や解任に追い込まれれば、醜聞に終止符が打たれるのか。
 激烈な女性蔑視ぶりを露呈した政治家。人気タレントの容姿を侮蔑することがショーアップ効果につながると思ったコピーライター。同級生いじめの「実績」を語ったミュージシャン。ユダヤ人大量虐殺をコントの題材にしたお笑い芸人。何とも、吐き気がするラインアップだ。
この人々に共通するものが三つある。三つの無だ。無知・無魂・無涙である。
 無知は人間を無神経にする。知るべきことを知らないままでいると、とんでもない形で他者を傷つけることになりかねない。魂なき者には、無知の怖さがわからない。そして、自分の無知を恥じることを知らない。
 涙なき者ほど、哀れな存在はない。他者のために流す涙を持ち合わせていない者たちには、自分の惨めさがわからない。もらい泣きすることができない。それほど、悲しいことはない。
 類は友を呼ぶとは、よく言ったものだ。似た者同士がお互いを呼び寄せる。この力学が濃密に働く中で、辞任・解任ラッシュにつながる演出チームができあがってしまったのだろう。
 三つの無の「類友チーム」と、本当に賢くて本当に優しい日本人を一緒にしてはいけない。両者は別種の人々だ。有知・有魂・有涙の日本人は、無知・無魂・無涙の日本人よりも遥(はる)かに多いはずだ。三つの有の人々の賢さと優しさが、三つの無の軍団の愚かさと優しさ欠如を抹殺してくれる。そうに違いない。
 三つの有の日本人と、三つの無の日本人の最大の違いはどこにあるか。それは、三つの有の日本人には、三つの無の日本人を哀れむ能力があるということだ。三つの無からの解放。三つの有の日本人は、そのために祈ることができる。神よ、三つの無の日本人を救いたまえ。

浜矩子(はま・のりこ)/1952年東京都生まれ。一橋大学経済学部卒業。前職は三菱総合研究所主席研究員。1990年から98年まで同社初代英国駐在員事務所長としてロンドン勤務。現在は同志社大学大学院教授で、経済動向に関するコメンテイターとして内外メディアに執筆や出演

 

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