行政書士と市の担当職員の両方が口をそろえて「不可能」と言ったことが、簡単にできてしまった。あとは許可書を頂くだけだ。
 乗り越えなければならない山は3つあった。
 第一は、持ち主の気持ち。耕作放置して20年近くなるから、米をこれから作るという意思は見えない。何年も草も刈らずに放置しているから、管理が手に余っている。このような予想をつけて譲ってくれるように家を訪ねた。
 運よく岡山市在住のその方は息子の患者さんだったし、その奥さんは牛窓出身の方で姉と同級生だった。姉は優秀だったが、身を飾らないことでも優秀で、横浜で暮らして40年以上たっても「貧相な牛窓人」を通しているような人で、奥さんもご主人も大和家に対してとても好感を持っていてくれた。その前の時代をたどれば、奥さんはよく父の薬局に薬を取りに来てくれていたみたいだ。
 第二の山は、農業委員会。基本的には農地は、お百姓以外は買えない。だから僕には買う権利はない。ただし、よほどの目的があれば例外的に許してもらえる。僕は荒れ果てて、イノシシなどが出る危険地帯を整地したいという考えもあるにはあるが、それを越えて地元の人の憩いの場を作りたいと思っている。娘がその考えに乗じてドッグパークにすると張り切ってくれたおかげで、計画を練る労力から解放されたが、実務的な交渉をするのは歳の功で僕のほうが長けている。
 以前古民家を買ったときに付随している荒れ地を農地転用してくれた委員に、再び連絡したら、申請してみたらいいと背中を押してくれた。立ちはだかるのではなく、農地転用の可能性を示唆してくれたのだ。この方は僕より少し年下だが、薬局を時々利用してくれる人だから気心はよく知れている。可能性があるかどうか尋ねるのに全く敷居を感じることがなかった。
 第三の山は、隣地の方の承諾書。この方も時々薬局に来てくれるが、僕がバレーボールをしていた時に、息子さんを僕のチームに入れてあげていた。毎日曜日数年間、彼と一緒にバレーボールを楽しんだ。荒れ果てた隣地の実害をこうむっていたこともあって、公園のようにすると言う計画を喜んでくれ、承諾書にハンコを快く押してくれた。
 これで山のすべてを超えることができて、承認を待つだけだ。行政書士もことの流れに驚いたみたいだが、最初の不可能と言う単純な判断に僕は不審を抱いている。僕が想いを捨てなかったことで道は開かれたが、それも簡単に開かれたが、もし僕が動かなかったら、迷惑でしかない土地が存在し続けたことになる。市の安易にできないと答えた職員ともども、意図せぬ無策ぶりが、僕だけに偶然起こったとは思えない。ほかにも同じようなことが頻繁に起こっていると考えるほうが自然だ。ことなかれで生きていける人たちの特徴を垣間見た出来事だと思っている。

 

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