暗闇

 夜のウォーキングも中学校のテニスコートだ。まず県道を横切るのだが、街頭は心細いからかなり暗い。中学校の裏門は県道の向こう側だから、家を出て30秒で僕は裏門から学校の敷地に侵入出来る。裏門は駐車場になっていて、薄暗い街灯が数十台止めることのできる駐車場の真ん中に一つ立っている。体育館で地元の人がスポーツをしていたら、明かりが漏れるから出入り口の前だけ明るい。しかしそれを通り越して隣接しているテニスコートを眺めると真っ暗だ。足元に注意しながら、網で出来た入口からコートに入る。もう慣れているから、真っ暗でも構わないが、いざ歩き始めると、月の明かりで何とか足元の草の存在くらいは見える。さっき、体育館の明かりがあるところから見ると真っ暗だったテニスコートが、次第に照度を取り戻す。暗い中を歩いていても草まで見えるようになる。さっきまで暗くて足元がおぼつかなかったのに。
 これは目のいたずらと言うか能力と言うか、見事な順応ぶりだ。猫の瞳孔のようにはいかないのだろが、なかなかうまくできている。20分くらいテニスコートの中を周回するのだが何ら不自由はない。逆に不自由どころか、僕を消してくれる役にも立っている。
 真っ暗なコートの中を歩いているのを見つけると、見つけたほうが驚くだろう。テニスコートのそばを町道が横切っているので、ウォーキング中の人が時々通る。恐らくその人たちには僕の姿は見えないのではと思う。現にコートに入る時には真っ暗にしか見えないのだから。いざコートの中では月明かりがあれば本でも読めるのではと言うくらい順応するのだが。
 人が通るのがわかれば僕は歩みを止め、存在を消すことにしている。気がつけば不審者かと思い、怖くなるだろうから。時に失敗して驚かせてしまうこともあるのだが。街灯一つでも明るさの差で見えたり見えなかったりする。暗闇に潜まれたら存在には気が付かないだろう。自分がその暗闇に足を踏み入れない限り。社会でも同じだ、暗闇の中に入ったことがない人には、暗闇は見えない。まさに闇でしかないのだ。