航海

 「ホームページの写真と違う」はい、違います。あれは10年くらい前の写真だから。母が健在だった時の、それもまだ裏方で十分僕を支えてくれたころだから、10年ではきかないのかもしれない。そのころの写真だから「違う」のだ。いわばあの写真は、今の僕の年の離れた弟みたいなもので、似ているくらいなものかもしれない。ただし、表紙を変えないことに悪意はない。母を消すことに抵抗があるのと、あの時のような家族愛はもう我が家にはないからいわば遺品みたいなものなのだ。遺品を捨てるわけにはいかない。
 確かに僕もあの頃から比べると歯は抜け、髪は抜け、精神は腑抜けになり、やることは間抜けになり、遠く僕なら新幹線でしか行けないところから車で来られた方を失望させたかもしれない。僕がかつてのように福山雅治に似ていればまだ失望させずに済んだかもしれないが、今の僕の姿は、やま福山通運だ。
 秘めたるは愛、知らぬが仏、知ってしまったら効かない薬が余計に効かなくなる。これからが実力の見せ所。
 世界が日本が、地域が企業が個人が、羅針盤のない航海をしている。どこに着くのか着けぬのか。よどんだ池に波高し。