豪雨

 またまた九州で豪雨だ。毎年どこかで繰り返される年中行事になってしまった。降る雨の量が増えたのか、土手が弱くなったのか分からないが、こんなにもろかったのかと不思議な気がする。川のない僕の町では、あの濁流は目にしたことがないから、かなりの恐怖だと思う。それを毎年のように指をくわえて、いや知らぬ顔をして自分たちの懐ばかりを潤わせたのが汚部をはじめとする痔見ん党と金平糖と、疑心の会だ。アメリカのカジノが日本でギャンブルで金を巻き上げるのには協力するが、水に流される橋も、水で削られる土手は直しもしない。
 何を恐れたのか知らないが、経済活動を封鎖して、おまけに金を配りどれだけの金を使ったのだろう。それだけあればかなりの公共事業ができたのではないか。コロナで亡くなる人の何日分が、今日熊本の山間で亡くなったのではないか。大金持ちや小金持ちにまで、欲しがられもしない金を配って、それで票をつなぎとめると言う唯一の目的がかなえられたのかもしれないが、山を守り、森を守り、田や畑を守った人たちが亡くなった。身内や大企業にしか思いを寄せないあいつらに殺されたようなものだ。
 強いものには強く、弱いものには優しく。格好の良い生き方を多くの人に見せてもらいたい。