吸引力

 我が家にかかってくる電話は、ほぼ薬に関するものだが、その日の朝、一番の電話は訃報だった。この年齢になれば、次第に失っていくのが自然だと思うが、それでも僕は、いまだ新たに手にしているものがあるから踏ん張っておれるのかもしれない。そう思った。
 明日は広島に漢方の勉強に行く。お医者さん中心の勉強会だが、薬剤師にも案内が来るから行く。僕の唯一の先生が勉強会を解散されたから、僕が新たな漢方薬の知識を得る場所が無くなった。医師会の勉強会に出席しても、何十年前に得たような知識しかもらえないことがほとんどだが、たまに1秒くらい琴線に触れる内容があるから、それを求めていく。ただ行くと、広島県で頑張っておられるお医者さん達の熱量が伝わってくるから大いに刺激はされる。世間的な評価が圧倒的に上の職業の方たちが頑張っているのに、薬剤師ごときが努力しなければ存在価値すらなくなってしまう。だから、腰が痛かろうが、体力的にきつかろうが行く。
 経済的に余裕があれば、広島に行くたびにベトナム人を数人ずつ連れて行けるが、そこまでは出来ない。たいしたことはしてあげることはできないが、若い多くの外国人と知り合う機会を得ている。3年ごとに入れ替わる人々を迎え、送ることを10数年続けている。薬局を訪ねてきてくれる人も僕の薬局では圧倒的に若者が多い。力及ばず、お手伝いかなわず去っていく人もいるが、それでも訪ねてきてくれる人は多い。
 この年齢になってなお多くの人と知り合うことが出来ているのは、形あるものに対して好奇心は失せてはいるが、心の目でしか見えないものにはますます心がひきつけられるからだと思う。そうした吸引力は失うことを受け入れられるようになってから身についたように思う。