幼子

 最近は寒いために、朝のウォーキングは8時半からにしている。その時間だと中学生も教室に入りテニスコートにはいなくなる。牛窓中学は少し面白い構造になっていて、体育館とテニスコートは市民が普段使っている道路で隔てられている。その道を市民は自由に通行する。まるで道路で隔てられているようだが、実際には学校内の一部をまるで道路のように市民が使っているのかもしれない。何故ならその道路の入り口は門がいつも閉められていて自動車は通れない。時にバイクが通るのは見るが基本的には自転車か歩行者だ。テニスコートに沿って数十メートルはある。その先は二手に別れ、片方は少し上り加減で入り江の土手につながり、片方は下り加減で保育園につながる。
 僕が早朝6時ごろのウォーキングから8時半に変えて、ある親子が毎日通るのに遭遇する。若いお父さんが幼い子どもを抱いて保育園に行くのだ。テニスコートから見えるところに保育園があるからそのことはよくわかる。今朝気がついたのだが、その幼い子供は毎日のように、抱かれて泣いている。泣き叫ぶといったほうがいいと思う。今まで泣いていようがいまいが余り気にならなかったのだが、今朝はなぜか気になった。そしてその泣き声に耳を澄ませば、保育園に行きたくないと泣いていた。幼児言葉が泣き声の合間に訴えている。幼子を今まで意識してみたことはないが、まだ相当幼いのだと思う。歩いている姿は見たことがないから。よほど親と分かれるのが辛いのだろう。通園途中だから、今分かれてきた母親が恋しいのかもしれない。
 そして保育園が近くなっただろうあたりで急に泣くのがやんだ。観念したのだろう。その光景を見ていて40年前のことを思い出してなぜか切なくなった。懸命に子育てしていたつもりだったが、常に正しい親であったのか、正しく育てたのか、最近は全く自信がない。未熟を引きずり子供達を毒してきたのではないかと思うこともある。思い出したくないこともある。思い出したいことは全て忘れ、そうしたことのみが記憶をよぎり今となって僕を苦しめる。
 もう二度と出来ない、そして、二度とごめん。帰りたくない、帰れないあの頃がテニスコートの向こう側を歩いていた。