悪意

 「固定費が要らないですからね」と税理士の先生が笑いながら言った。その手の用語は全然分からないが固定費くらいは分かった。そういわれた理由は僕の薬局の漢方薬が安いからだ。漢方の製薬会社のセールスに言わせると東京の有名店の半分以下、大阪の半分くらいの値段らしい。それを知ったときに、僕は都会の薬局の悪意を感じていたが、税理士の先生のお話によると固定費がほとんどと言っていいほど要らないから可能ならしい。
 固定費の代表が家賃になるのだろうか。この広さだったら岡山駅近くだと〇十万円くらいですと教えてくれたが、さすがにそれだけを余分に支払わなければならないなら、漢方薬代に反映させなければならないだろう。そして自分の欲望が経済を伴うものならそれに又積み重ねることも必要だろう。
 そんなことを考えていたら、僕が作ってあげれば経済的に諦めている人でも漢方薬が飲めるようになるのではないかと気がついた。今飲んでいる処方を僕が作りますという「商売」だ。煎じ薬を作ることだったら薬剤師なら誰でもできる。ただし、ここからが大切なことだが、相談された方の処方を決めるまでには、多くの情報を頂いた後、頭の中で多くの知識を引き出し、多くの経験を引き出す作業が必要になる。そしてやっと処方にたどり着く。この見えない努力を否定し、果実を横取りするようなことは信義に悖る。いわば知識泥棒だ。
 ただし僕は以前から、経済的な理由で漢方薬が飲めないようにしてはいけないと思っている。どう見ても暴利だろうという話も耳に入る。漢方薬に希望を抱いて相談できる余地を多くの人に残しておくべきだ。都会の金持ちだけが恩恵を受けれるなら今の汚部と同じだ。
 そうしてみると田舎の薬局は気楽でいい。普通の人しかいないのだから元々悪意は通用しない。