白川郷

 今朝のニュースで偶然かもしれないが、白川郷の風景が2つの局で映し出された。どちらも内容はほぼ同じで、定番の幻想的な冬景色とは程遠いものだった。夏に来ても同じだという観光客のコメントを流していた。持参した写真に写る雪景色の美しさと、目の前の光景を比べ残念がっていた。
 実は僕ももう40年近く前に一度訪ねたことがある。高山に就職した先輩を時々訪ねたが、一度だけ観光もどきをやってみたのだろう。会ってタバコを吸いくだらないおしゃべりをしていればいくらでも時間がたった当時では、珍しいことだと思う。僕らは何かを見るために、特に景色を楽しむために行動を取ったことは学生時代一度もない。その習性はそれ以前からだったような気もするし、その後も延々として僕の中ではかたくなに続いている。
 そんな僕だから、白川郷の記憶はほとんどない。季節も分からない。唯一の記憶は、何気なく入った合掌造りの家の片隅で、小学生と思しき少年が勉強していたのだ。今懸命に思い出そうとしてそんなことはありえないだろうと思う気持ちもあるが、確かにあの時は突然日常生活が目の前に現れたのだ。まさに毎日繰り返されている日常の中に、それこそ土足で踏み込んだのだ。僕達が無断でそんなことをするはずがないから、招き入れる看板か知らせがあり自然に入って行ったのだと思う。勿論お金も払ってはいないだろう。お金を払ってまで何かを覗くようなことは恐らく僕も先輩二人も好きではないから。だとしたら、合掌造りの、それも現役で使っている家を開放していたのか。わからない、地域振興のためにそこまでするのか。
 高山に暮らす先輩からの年賀状に、往来で轢かれたねずみの詩が書かれていた。また外国人で溢れる高山の町を歌にして歌っているそうだ。白川郷に一緒に行った、今は岐阜市に住んでいるもう一人の先輩は、年賀状に「日本は一体どこに向かっていくのでしょう。〇〇国の一部になるのでしょうか・・・・・・」と書いていた。人の目に触れるから国の名前を〇〇にしたのか、複数の国を思い描いていたのか分からないが、かつて白川郷を訪れた3人が奇しくも同じようなことを正月に考えていたことになる。
 3人が3人同じ薬科大学を出ていても、生き方は結構異なる。ただ今だ同じような価値観で生きているのだろうと思う。かつて共有した価値観、一緒に育てた価値観をそれなりに全うできているとしたら、僕らの出会いは恵みだったと思う。結果も過程も飲み込んでしまうくらいのものだったのだから。