病気

 昨日は岡山県内なのに、延べで5時間くらい運転した。久しぶりに暗くなってからの高速道路も運転したので、まだまだ大丈夫と言う嬉しさが、緊張や疲労を打ち消してくれた。僕にとっても大きな収穫があった1日だった。
 どうも僕の病気らしいが、僕は少し会っただけの人にも何かしてあげたくなる。これは日本人に対しても外国人に対しても同じなのだが、恐らく薬局にやって来る不調を抱えている人たちに40年間「少しでも改善してほしい」と思い続けていることの単なる延長だと思う。薬と言う介在するものはないが、心情は全く同じだと思う。
 昨日、和気で開催された「志多ら」のコンサートに誘ったのも一度会っただけの人たちのことが気になっていたからだ。彼女達は何かのパーティーの時に、玉野教会にやってきた。そこで多くのベトナム人達と楽しんでいたのだが、信者ではなかった。僕なりに歓待したつもりだったが、それ以降会うことはなかった。ただ、僕の気持ちの中には遣り残した宿題として彼女達の存在があった。初めて話したときの思い「いつか日本文化を紹介したい」と言う気持ちが解決できていなかった。パーティーの時、来年帰国する若い女性が、日本文化をほとんど知る機会がなかった事を嘆いたいたから、僕の誘いをことのほか喜んでくれた。
 うかつにも何十年訪れなかった「わがオリーブ園」をこの年になってようやく誇れるようになったから、多くの人を案内する。この4人も牛窓に着くや否やまずそこに案内した。案の定、ゴン「きれい」を連発した。僕もまた心の中で同じ言葉を浮かべる。少しの暑さは覚えるが、地球をキャンパスにした壮大で優しい風景は、空の青、海の青さを競い合いながら訪れる人たちの心を癒してくれる。多くの人たちが時間を止めて憩っていた。
 その後、すしが食べたいというので、牛窓のすし店に出前を頼んだ。かつてなら握り寿司とか刺身とか言う言葉を出せば、食事を共にしなくてもいいくらいの撃退用語だったのだが、最近は生魚を食べられるベトナム人が増えたので、うかつに口に出すと高くつく。
 そのお礼ではないが、僕がベトナム人を雇用している会社に寮として提供している古民家の草を10分間くらい4人で抜いてくれた。毎朝僕は10分くらい草抜きに励んでいるのだが、僕一人でできる何倍も広い範囲をきれいにしてくれた。それも、和太鼓のコンサート用に着飾ったおしゃれな服装で。作業の後、足も手も水道で洗わなければならないほど頑張ってくれた。居住しているベトナム人が、草抜きをする僕を横目で、何も手伝わないのと大きな違いだ。
 その後、和気に出発するのにまだ時間があったので、海水浴場に連れて行った。さすがにこの時期泳ぐ人はいないが、釣りをしている人、砂浜で遊ぶ若者や子供達が結構いた。牛窓でまさか砂浜に来ることができるとは思わなかったみたいで、砂浜が見えた瞬間歓声を上げていた。早速靴を脱いで水の中に入って遊んでいたが、その中の一人の女性がなんとなく奇妙な行動をとり始めた。膝からちょっとだけ下まであるズボンをはいていたのだが、ズボンが濡れる深さまで入って行って遊ぶ。上半身を水面に近づけて、まるで泳いでいるようなしぐさをする。ところがそのうち、腰の辺りまで水に浸かって同じ仕草をするようになった。僕を含めて仲間たちが心配するのを尻目に結局は肩まで水に浸かってしまった。なんてことだ、これから和気まで冷房の利いた車で行き、2時間のコンサートを冷房の利いた施設の中で過ごすのに。しかし僕はその光景を見てとても嬉しかった。30歳くらいの女性だろうか、国にご主人や子供を置いて出稼ぎに来ているのだが、つかの間の気持ちの解放ができたのではないかと思ったのだ。彼女は熱心なクリスチャンで、素朴さがとても伝わってくる人だが、その彼女がこんなにはじけたのを見て、その日1日連れ出して僕と行動を共にした甲斐があったと確信した。彼女に最もふさわしい場所ではないかもしれないが、その対極の僕の行動様式が少しは役に立てたと思えた瞬間だ。結局妻が下着を買って。又妻のお古を着せて和気に向かった。