京都抹茶ラングトシャ

 京都抹茶ラングトシャは小さいけれどなかなか美味しい。空腹と疲れていたこともあってとても美味しかった。続けて2枚食べてしまった。本来なら我慢すべきところだが、うれしい報告をしてくれた親子のお土産だから、今日は甘いものも解禁だ。
 シックなワンピース。高いヒールの靴、爪にはネイル。濃い茶髪。どこから見ても京都の人間だ。つい半年前まで、高校の制服姿でやってきていた女性とは別人だ。もう何のトラブルでお世話したのか忘れるくらい元気そうで垢抜けている。
 二人の姿を見たときに、何をしに来たかすぐに分かった。手にはお土産らしきものを持っていたから、どちらかと言うと吉報だろうことは予測がついた。案の定大学に合格して、帰省ついでに寄ってくれたらしい。起立性調節障害で出席日数との戦いをともにしてきたが、大学受験の結果は知らされていなかった。
 こうして御礼に来てくれるのはとてもうれしい。しかし、医療従事者の共通した思いかも知れないが、元気になってくれるだけでうれしいものだ。そこから先は望んでもいないし考えもしない。どこかで幸せに暮らしてくれればそれでいいのだ。職業的に目の前にある不幸(不調)を解決することに全精力を集中させるから、治ってしまえば興味は自ずと薄れる。ドライなのではない、今抱えている人が多すぎるのだ。よい結果で離れられる人は嬉しいけれどどそこまでだ。
 抱えているトラブルの危機感に比べ、このお母様の天性の明るさがどれだけお嬢さんを救っただろうと思う。僕の漢方薬が貢献したのには比べられないほどお母さんの愛情がお嬢さんを救った。愛情の深いかけ方が笑顔で覆い隠されるところが、お嬢さんには負担にならなかったのだと思う。
 つかの間の達成感を京都抹茶ラングトシャ2枚分味わった。ところでラングトシャって、なんと言う意味?