感謝

その話を聞いて、こみ上げるものがあったが、気付かれないように堪えた。
 殺処分寸前に我が家にやってきたノンちゃんは推定2歳らしいがよくはわからない。徳島からやってきた当初は部屋の隅に縮こまり目を合わせることも無く恐怖の塊のようだった。それが1週間、娘達の愛情をいっぱい受けたら、目を逸らせる事もあまり無く、部屋の中を好奇心で歩き回ったりするようになった。首輪をされることが恐怖で散歩にも行けなかったが、今では用を足したくなると遠慮気味に声をあげ人を呼ぶようになった。
 薬局の窓ガラス越しに散歩に出かける後姿を見ていると、昨日今日は尻尾が水平になって歩いている。それまではお尻を隠すように尻尾が後ろ足の中に格納されていたが、今では水平になっている。まだ上には上がらないし、左右に振ることも無いが、慣れるのに半年くらいかかるといわれていたが、急ピッチで我が家(実際には娘達)の犬になっている。
 今日、岡山で野犬の保護などをボランティアでしている薬剤師が漢方薬を作りに来た。当然、めっぽうその道に詳しい女性だが、いっぱいアドバイスをしてくれた。次に犬を飼うときはぜひ保護犬をと言うのは彼女の影響だが、彼女の見立てでは、半年も待たずにすでにいい子になっているそうだ。そしてとても利口そうとお墨付きをもらった。これは連れてきてくれた徳島の方も言ってくれた言葉で、慣れている人なら一目見れば分かるそうだ。そうしたうれしい言葉を聞きながら涙を誘うような会話も二人の間で行われていた。
 ノンちゃんが一度だけ尻尾を上げて左右に力強く振ったことがあるらしい。どのタイミングでそのようなことをしたかと言うと、バッタを捕まえて食べた時らしい。娘曰く「やったって感じでハイテンションだった」そうだ。僕の想像だが、野犬で山で暮らしていたときに、バッタはご馳走だったのだ。どのような集団で生きていたのか分からないが、母犬も兄弟姉妹の犬もいたのかもしれない。親の庇護を離れてから自分で餌を見つけていたのだろうが、バッタをしとめて食べるときの喜びようが尋常でないように娘には写った。もっともっとご馳走を食べさせてやりたい、何も心配なく過ごさせてやりたい、そう思ったときにこみ上げてきたのだ。
 不憫ゆえに、絶対に幸せにしてあげたいという気持ちが強く沸いてくる。僕はそうしたことが苦手な人間だと思っていたが、ノンちゃんを目の当たりにすると人並みの心くらいは持っていたのだと気がつかされる。
 クリが逝き、モコが逝き、もう犬とは暮らせないと思っていたが、又心の安らぎをもたらしてくれる存在がやってきた。感謝。