金融機関

 いつからこの手の機関に足を運んでいないのだろう。牛窓に帰った当初、最初のうちは役に立たなかったから、こうした雑用めいたことをさせられていた記憶がある。と言うことは40年ぶりと言うことになる。
 今日も僕が行くつもりはまったくなかった。ただ、僕の代理で妻が数回足を運んだのだが、そのつど書類に不備があり痺れを切らせてついに向こうから呼び出しがあった。かくも金融機関は融通が利かないものかと思いながら、足を運んだ。運ぶと言っても車なら1分もあれば行ける所なのだが、その1分でも僕にとっては無用の動きのようで気が重かった。
 案の定、僕の必要はなんだったのかと言うくらいの内容だった。僕でなくても代理で十分だ。書類を持って行って、控えをもらうだけなのだから。ただ僕は確信した。40年もこのような所に来なくてすんだ自分は幸運だったのだと。預けるのでもなく、借りるのでもなく、ひたすら仕事をしていればよかったのだから。妻がそうしたわずらわしさは全て引き受け、仕切ってくれたから、苦手な分野で頭を悩ませる必要はなかった。
 生きていくのがとても難しい、緊張を強いられる時代に、恐らくその際たるものに対するストレスを回避させてもらったのはとてもありがたい。薬剤師の父は、結構そのあたりが得意?好き?で薬剤師以上に専念していたような記憶があるが、薬剤師として薬局として、果たして地域のためになっていたのかと問われれば素直にイエスとは言い難い。
 僕は若い時から多くの物を持たない様に意識して生きてきたが、そしてそれでも持ちすぎたが、恐らくそれらは僕の心の安定に貢献してくれている。失って怖いものなど持たないがいい。なくしても笑って済ませられる、いやいや気にもならないようなものだけ手元にあればいい。