投書

 今朝の毎日新聞の投書欄に、僕が書いたのではないかと言うようなタイトルで意見が載っていた。「もう吉本新喜劇は見ない」と言うタイトルだ。僕も同じことを考えて同じような文章を書こうと思っていた。全国紙に同じような意見が載っているからあえて僕が同じようなことを書く必要もないのかもしれないが、新聞を読まない人も多いみたいだし、まして毎日新聞を購読していない人も多いと思うので拙文を載せる。全国紙に掲載されるような上品な文章はかけないが、超庶民の嘆きが届けばいいと思う。
 学生時代から吉本新喜劇はよく見ていた。牛窓も関西の隣だから、関西の笑いはよくわかるし、漁師の笑いなどもっと鋭くて、芸人のほうが下手に思えるくらいだ。そんな僕が最近徐々に不快感を覚えるようになっていた。その一番の理由が、どこのチャンネルを開いても、吉本の芸人が出ている事だ。民放の素人が作るような番組は勿論、NHKの番組でもしばしば登場する。もはや彼らなしで視聴率は稼げないのかと情けなくなっていた。彼らがくだらないギャグをはさむたびに番組が歩みを止めるのが馬鹿らしくて、もともとテレビの前にいない僕だが、ほとんど見なくなった。
 そこで止めを刺したのが、僕は運よく見なかったが汚部がのうのうと吉本の舞台に上がったと言うのを知ってだ。笑いを取ることにおいては類を見ない舞台に、あの日本で最も汚い人間の一人を上げてしまったことに対する嫌悪感だ。その後吉本の芸人が汚部を訪ねたと言うのもニュースで見た。一連の胡散臭さはごく普通の頭がある人間なら分かる。金持ちしか頭にない人間が、貧乏人の娯楽の場に出かけ票を取ろうとしたことなど簡単に想像できる。所詮汚部は、この程度で票が取れるとしか思っていないのだ。見下されてなお笑った人間がいるなら哀れだ。吉本はなぜ汚い人間が舞台に上がるのを許したのかと思っていたら、所詮吉本も同じ穴の狢だったからだ。芸人が裏舞台で活躍するのがいみじくもそれを照明した。僕らはそんな人間ばかりをテレビで見ていたのだ。吉本も間接的に老人からカネを騙し取っていたのだ。
 老後の蓄えも十分でない人たちが、老後の蓄えどころか、月に行くロケットに乗るために何百億でも出せる人間達の財布を支えている。哀れなものだ。戦争でも災害でもいちばんに命を落とす人間が、安全地帯にとどまることができる人間達を支えている。哀れなものだ。小さな犯罪でも捕まり塀の向こうに放り込まれる人間が、巨悪でもつかまりもしない人間達を支えている。哀れなものだ。道徳とか倫理とかを身につけている人達が、やりたい放題の階層の人間に操られている。哀れなものだ。