定番

 ダイヤモンド瀬戸内マリンホテルは玉野教会から近いこともあり、初めて教会に連れて行くベトナム人の定番コースにしている。昨日も3ヶ月の短い研修生活のために来日した3人を連れて行ったのだが、せっかくのバイキングを楽しんでいる間も、やたら外ばかり眺めている女性がいた。気になって仕方ない風だったが、それほど最初は気にならなかった。好みの料理を皿に並べて写真を撮っていたから、楽しんでもらえていたとは思うのだが、そのうち振り返り外を眺める回数が増えてきたので、海を見たいのと尋ねてみた。すると目を輝かせて頷いた。
 もう十分僕もお腹が膨らんだし、3人も満足そうだったので、食後の余韻を楽しむ間を作らずに海岸に出た。3人とも当然渋川海岸の美しさに喜んでいたが、窓から外ばかり気にしていた女性は一人歓声を繰り返した。いっせいに写真を取り捲るのはいつものことだが、その女性は靴を脱ぎ、ソックスを脱ぎ、ズボンをたくり上げて水の中に入って行った。沖を通過した船が造る大きな波や静かに寄せる波と、まるで子供のように、いやまるで水が好きな犬のように戯れていた。
 「ひょっとしたら海は初めて?」と尋ねると、少し照れくさそうに頷いた。その瞬間僕は、今日もまたちょっとした親切?が大きく報われたと思った。その一言で、その日は満たされた良き日なのだ。
 3人のうちの1人はかつて3年間、日本で働いた経験の持ち主で、まるで通訳のように日本語が堪能だが、「〇〇ちゃん、しあわせそう」と言った。
実はその〇〇ちゃんは、僕の勝手なベトナム人の先入観にぴったりと合う人で、もう100人以上僕を「お父さん」と呼ぶ人がいるが、ほんの数人しかそうした人とは巡り合っていない。無造作にどこまでも伸びた髪、日焼けして若いのにシミだらけの顔、貧しさを象徴するようなヤセ具合、それでいて弱々しくない。カメラの被写体になることを極端に拒む。いつもニコニコしていてる。僕が首や肩が凝ってつらそうな仕草をするとそっと後ろに回りマッサージを始める。10数年前に初めて会ったベトナム人たちにはそうした人を見つけることが出来たが、今は珍しい。極端に農村部からやってきた、それでも会社から推薦されて日本に来るくらい勤勉で優秀、そうした共通点を持っている。
 僕くらいの年齢になると、沸きいずる本当の美しさでないと心を惹かれることはない。そうした人に巡り合える幸運を、誰かのために生かさないのは許されない。