落胆

 いつもなら100くらい喋る人が、今日はうつむいたまま何も喋らない。お茶とケーキを出してあげているが、それに手もつけない。見かねたご主人が促してやっとその存在に気がついたくらいだ。
 僕とその夫婦の会話を聞いていたある男性が、自分の薬は既に手にしているのに帰りたくない素振りだ。いつ介入しようかそのチャンスをうかがっていたがついに口を挟んだ。
「オレの連れの奥さんは40歳じゃけど、腰が痛いと言って病院に行ったが原因が分からず、大学病院に回されたんだけど、骨が折れていた。でも医者が普通骨が折れる場所ではないと言ってもっと詳しく調べたらガンだった。今は、抗がん剤治療をしているけれど、1年くらい持つかなあ!」
 80歳で初めて病院にかかったと言う女性を慰めるつもりで話したのだと思うが、どうも功を奏していない。世の中にはこんな不幸な人もいるのに、80才まで病院にかかったことがないのだからよほどの幸運を感謝しなさいと言うたとえ話に聞こえたが、本人は、その膝の痛みも実は隠れガンかなと心配になってきたのかもしれない。
 ずいぶん前から夫婦そろってかなりのO脚だが、僕など比べ物にならないくらい重いものを持つことができる。お百姓は職業柄、関節は傷めやすいが筋肉はよく鍛えている。だから見かけよりはずいぶんと元気だ。その元気過ぎさがちょっとの不調で裏目に出ただけだ。しかしその落胆振りは相当のもので「手術するように勧められると思っといたけど、せんでよさそうで良かった」と言う言葉に表されていた。最悪を想像し受診し、予想外の投薬治療だけですみそうなのを喜んでいた矢先の、隠れガン説だから、額から汗が吹き出たのもうなづける。
 僕の薬局では精神的なトラブル以外は、皆さん、そんなに隠さない。田舎の人だから顔見知りも多く、むしろ皆がなんらかの不調を抱えていることに気がついて、自分だけがつらいのではないと慰められて帰っていくことが多い。何を隠そう、白衣を着ている僕の方がよほど不調なのだから皆も隠す必要がない。僕も含めて盛り上がれば、痛みや不調が一時的でも少し軽くなる。
 つい数日前、県西部の方が2時間かけて漢方相談にやってきた。後日談だが、紹介され方に「ろくに話も聞いてくれない薬局や、おどろおどろしい漢方薬局ばかりなのに、とても気持ちがよかった」と評価してくれたらしい。もし、僕の薬局で不快感がなかったとしたら、冒頭のような光景が当たり前のように行われる人間関係がまだ残っているってことだろう。だからこそ父の代から70年以上も病院の門前小僧にならずして存在し続けられているのだと思う。一番大切なことは、演技も演出もしない「ありのまま」ってことだ。